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2 - Tracker
Tips: 疫病の原因
 アンドロイド体内に侵入したナノマシンを解析すると、古のアンドロイドのコア情報が取得できる。
 このナノマシンがどこから流布されているかは分かっていない。


 * * *

 セントラルと遺跡の往復に十数日。
 水場さえあれば最低でも一ヶ月は保つ荷物を抱えて、キトの消えた場所まで戻ってきた。
 「いない間に寄って来た奴は?」
 「おらん」
 「じゃあ行こう」
 ただし、あたし一人じゃない。
 「いやほんと、適材探し出してくれたユーリには頭が上がらないよ。あたしが見ても砂粒と装置の破片の区別つかないし」
 研究機関に寄った折、『丁度適任のアンドロイドが仕事から戻って来たので同行していただきましょう』と、ユーリが助っ人をつけてくれたのだ。
 名前は確か……エン……なんだっけな?
 ユーリもそうだけど、一度文明が滅んだ後に生まれたアンドロイド達は名前が長くて覚えられない。
 「そんなん言うても俺も分からんって」
 「えっ」
 「えっ?」
 あれ? 装置の痕跡の判別ができる人って聞いたのに。
 キョトンとした顔で連れの方を見ると、助っ人の男はあたしと同じ顔してこっちを見ていた。
 オレンジ色の髪を小さく束ね、細くつり上がった目の造形から覗く薄緑の瞳が印象的だ。
 「ああ、もしかして俺じゃなくてアオの事言ったんちゃう?」
 あたしの疑問に思い当たる答えがあったらしい男はその場に座り込むと、目を閉じ、腕を組んで考えるようなポーズのまま固まってしまった。
 この男はアオという名前ではなかったし、だけどこの場にいるのはあたしとこの男の二人しかいない。
 となると、考えられるのは一つしかない。
 「うう、何回交代しても違和感だらけで気持ち悪いわ……」
 間を置かずして、ガタイの良い男からその図体に似合わない女性の声が漏れてきた。
 「マジか」
 「マジやわ」
 「すいませんでした」
 思わず漏れたツッコミに哀愁とも殺意とも取れる声音で返されたら謝るしかないよね。
 そう、身体は一人だけど、助っ人は『二人』いたのだ。ユーリの奴、それならそうと先に教えてくれればいいのに。
 「まあ外から見ても違和感あるやろけど、慣れてな」
 それにしても、なまじ声が可愛い方に振れてる分、さっきまで聞いていた声との違和感が半端ない。
 半分は自分に言い聞かせてるようにも聞こえる言い方で違和感を切り捨てると、彼……彼女? はぎこちない動きで立ち上がった。
 「あたいがアオ・オオタギ。『生前』は追跡者とか呼ばれてたわ」
 追跡者。なるほど、納得行く適材だ。
 字面だけだと後ろ暗くてヤバそうな人に見えるけど、正確な職名は通行監視員という公務員の一種。名前の通り、誰がどこを通ったかの記録と監視、不正通行が疑われる痕跡の発見と追跡が主な仕事だったかな。
 良くも悪くも、たまにあたしもお世話になったから覚えてる。
 勿論、雇う国も調べる対象技術も潰えた今となっては、そんな肩書など何の意味も為さない。
 「聞いてるだろうけどあたしはキノ・トキシバ。頼りにしてるよ」
 「任せてな」
 さっきとは違う深緑の瞳が、細くつり上がった目から覗き込んでいた。

 * * *

 エンヌイル・ナインヴァレー――身体の持ち主の男は、疫病から快復したアンドロイドだ。
 研究機関に運ばれたエンは体内に侵入したナノマシンを解析され、それによってアオが復元された。
 本来、一つの身体にコアが複数存在すると異常をきたすらしいんだけど、それを解決し同居可能にしたのがユーリの技術であり、現在唯一成功率が高い治療方法と言われている。
 勿論確実とは言い難い。復元に失敗したり、コア同士の衝突による不具合で失敗というケースはざららしい。失敗とは即ち死亡による廃棄とほぼ同義だ。
 ちなみに、治療の研究過程で侵入したナノマシンを体外に強制排出するという手段もなくはなかったそうだけど、症状の悪化が止まるだけで解決にはならなかったんだとか。
 そんなわけで、エンとアオは不具合なく理論通りに快復できた患者、いわゆる『正規統合者』に分類される。
 復元され、定期メンテナンスを条件に自由に活動しているアンドロイドとは、通常この分類に入るアンドロイドの事を指す。

 あたしは正規統合者に入らない失敗ケースだそうだけど、生きている以上は同じようにメンテナンスもしてもらえるのであまり気にしていない。
 ただでさえアンドロイドの絶対数が少ない現在、規格がどうとかうるさい事は言ってられないんだろう。

 「次、そこのネジ締めて完成な」
 アオの指示の下、砂粒……じゃなく、装置の破片が入った筒の蓋を米粒ほどのネジで締めて完成させる。
 出来たのはペン型ライトのような形をした、使い捨ての転送装置だ。
 「装置ってこんな形してたっけ……?」
 生前にも使い捨てタイプを使った事は何度もあるけど、規格に沿って量産されたあれとは形が全然違う。あっちはもっとこう、今の端末のようなちょっと厚い板のような形してて、簡易的な操作画面があった。
 「昔のあれは画面が無駄なだけやわ。移動先の決まった転送処理部分に絞ればこれだけで済むに、あれこれ注文ついた結果邪魔な機能付けざるを得なくてな」
 「追跡者は内部構造まで詳しいんだねえ」
 「設計に関わってたあたいが特殊なだけやわ」
 「マジか」
 「マジやわ」
 もしかして、アオって結構お偉いさんだったのかな。
 そんな益体もない事を思いつつ、掌に収まっている、ありあわせの材料で作られた装置に目を落とした。
 「本当ならテストもしときたかったんだけど、破片も材料も足りないから仕方ないわ。そこは諦めてな」
 何度も作った機能だし、問題なく動作するでしょう、と若干不安の残るお墨付きをもらった。
 そりゃまあ、アオがいなかったら装置の構築どころか痕跡すら分からなかったし、文句の言いようがないけどね。
 「まあ、ベテラン追跡者様謹製なら大丈夫でしょ。ありがと」
 「そういうのは探し人が見つかってから言ってな」
 「それもそうか」
 追跡者は追いかけてる相手を見つけるまでが仕事だ。間違いない。
 「じゃ、またあたいの力必要な時は呼んでな」
 アオは最初に交代した時と同じようにその場に座り込むと、そう間を置かずにエンが戻ってきた。
 ちなみに毎回座るのは、交代の瞬間は一瞬気絶するのと同じで、立ったままだと身体が倒れるかららしい。一つの身体に二つのコアがあるって、意外と不便なんだなあ。
 「お、それアオが作ったん?」
 「身体の力加減難しいみたいで、組み立てはあたしがやったけどね」
 「さっすが」
 エンとアオは疫病から快復した時、研究機関に所属する事を選んだらしい。だから今回だけじゃなく、キトが見つかるまで助けてくれるみたいだ。
 実に心強い。

 心強いとは思っても安心感を感じられないのはやっぱり、弟という自分の片割れじゃないからかもしれない。

 一抹の寂しさを認識しつつ、転送装置の起動スイッチを押した。

 * * *

 転送酔いの吐き気がする。
 生前も吐き気がするのに変わりなかったけど、転送に慣れてないこの身体は特に相性が悪いみたいだ。前より酷い……うっぷ。
 現代になってから建てられたらしき室内の周囲を見回し、錆びついたドアを体当たりでこじ開ける。良かった、外だ。
 そのまま倒れ込むように膝をつき、堪えていた吐き気を地面に吐き出して、ようやく落ち着いた。
 「ふう……」
 後ろを振り返ると、目を回して大の字に倒れてるエンの姿と、ボロボロになって崩れた転送装置が足元に落ちていた。
 コアの損傷に繋がるような不具合はないと思うけど、転送酔いという副作用が思ったより強く働いたのは、アオもあたしも誤算だったな。
 ま、ちゃんと転送が成功したし、結果オーライで良いか。
 砂で吐瀉物を埋め、体当たりで壊れたドアを立て掛けて室内に戻った。
 ……人、住んでないよね?

 ダウンしたエンの復帰を待ってる間、この場所の確認をする事に。
 ユーリに位置情報を送ると、すぐに詳細が返ってきた。どうやらここはセントラルからかなり北にある廃墟らしい。
 周辺に遺跡はないけど、化け物の目撃情報が多い危険地帯中の危険地帯。そんな場所だから迂闊に調査の手も入れられず、廃墟があったという情報さえ新発見の事実だそうだ。
 「化け物が掃討された最寄りの安全地域まで救助隊を送ります。待機座標を送りますので、廃墟に残った資料を出来る限り多く持ち帰って下さい」
 仕事スイッチの入った声に、心なしか緊迫の色が混じっている。
 ユーリがそういう話し方をする時というのは決まっていて、生体アンドロイドに致命的な破損、もしくは死亡の危機がある時だ。あたし達が飛んできた場所は、それだけ危険な場所だって事を嫌でも理解させられた。
 「さて、と」
 通信を切り、まだ少し転送酔いが残る頭でやる事を整理する。

 一つ、エンを叩き起こす。
 二つ、廃墟にある資料をありったけ確保。タイムリミットは救助隊の到着まで。
 三つ、化け物が来る前に逃げる。

 悔しいけど、キトの痕跡を探す余裕はない。
 やる事が決まったら即実行!
 「エン起きろ!」
 「いってえええ!!」
 症状緩和にと口に突っ込んでおいた治癒促進タブレットを齧るエンの尻を蹴り飛ばす。
 「え? 何? もうちょっと休ませてよ!?」
 「寝言言ってると死ぬよマジで」
 「どういうこ」
 「いいから部屋の資料かき集めてずらかるよ」
 「ええ……」
 蹴られた尻をさすりつつ、エンもふらふらと立ち上がって机の上を漁り始めた。
 本調子じゃないのも相まっていつも以上に動きがちゃらんぽらんだけど、資料の取捨選択に迷いがない辺り、ゆっくりしてる暇がないのは察したみたいだ。
 触っただけで崩れる紙媒体は当然持ち帰れない。物理的に壊れてなければ良いという基準で保存メモリ媒体をメインに拾い集め、片っ端から端末に読み込ませて中身を送信する。
 送った中身が壊れてるかの確認と修復はユーリがやってくれるだろう。
 「こっち終わったで」
 「隣の部屋頼む」
 狭い部屋の一角を早々に片付けたエンには、居間らしき部屋に足を伸ばしてもらう。
 そうしてる間にも資料をかき集める手は休めない。休められない。
 「(……静かだ)」
 部屋を漁る物音以外に音はない。
 化け物達は昼夜関係なく活動してる。目撃情報の多いこの地域なら、どこにいてもその蠢く音が聞こえるはずなのに。
 この異常な状況にエンは気付いてるだろうか。

 この時、あたしは失念していた。
 相手取ってきた化け物は節足動物型ばかりで、それ以外の型はほとんど淘汰されたか、目撃されていない。
 だけどそれは、決して『絶滅』と同義ではない事を。

 「キノ!!」
 そして、エンはそれにいち早く気付き動いていた。
 「外に逃げろ! 早く!!」
 さっきまでのちゃらんぽらんな面影が消し飛ぶ程の険しい顔で戻ってきたエンに引き摺られ、反射的にメイスを掴み、転がるように部屋を出る。
 短い廊下を走り、壊したドアを倒し、上半身が外に飛び出たところで、ようやくあたしは異常な静けさの理由に気が付けた。
 足の爪先が廃墟を出たのと同時に、バキバキと轟音を立てて廃墟が壊されていく。
 劣化による倒壊じゃない。
 廃墟と同じくらい大きな何かが、ものすごい勢いで突っ込んできたんだ。
 塵と砂埃でゴーグルが汚れ、それを指で雑に拭う。
 「あれは……」
 辛うじて開けた視界の向こうで、廃墟ごとあたし達を潰そうとした正体が音もなく飛翔している。
 それを見たエンの顔が引き攣っているのが、暗闇の中でも見て取れる。
 「……よりによって猛禽類型かよ」
 夜闇より黒いその化け物は、獣型の中でも更に厄介な種類だった。

 救助隊の連絡は、まだ来ていない。

 * * *

 獣型は総じて巨体だ。
 翼を畳んだ状態で二階建ての一軒家と同等の大きさと質量でありながら、ほぼ無音で襲いかかってくる隠密性が猛禽類型の厄介たる所以でもある。その静音性は、聴力に長けた性能のアンドロイドでなければ聞き取れない程。
 「来る!」
 ゴーグルの暗視補正を入れ、正面切って飛んで来る化け物を捉える。
 夜の暗闇に紛れての襲撃も猛禽類型の得意な攻撃だ。だけど姿さえ見えれば、ゴーグルで視力を落としたままでもその動きを追えるくらいには動きが鈍い。
 言うのは簡単だけど、実際のところは結構ギリギリだ。
 「そおい!」
 「え?」
 迎撃しようとメイスを構えたすぐ後ろから、気の抜ける掛け声と同時に何かが頭上をものすごい速さで飛び抜けて行った。
 それは化け物の頭に直撃し、バキンという金属の割れる音と共に粉々に砕けた。
 「え、なに今の?」
 音から予想できるのは鉄塊っぽい何かだ。しかも、アンドロイドの頭より一回りくらい大きい奴。
 本当に鉄ならあたしのメイスと同じくらいか、もっと重いかもしれない。そんな物どこに……あった。
 廃墟の瓦礫の中に金属の延べ棒がいくつも転がってる。何に使われてたんだあれ?
 「うーん、やっぱ一発じゃ倒せんか」
 地面に叩き落された化け物と延べ棒を見て混乱してる頭に、更に混乱を招く台詞が聞こえてきた。
 「今のエンがやったの?」
 「他に誰がおるん」
 「いないね」
 とりあえず、エンがやったのは理解した。
 「キノ、適材がアオだけだと思ってたろ」
 呆れたような寂しいような、心外そうにため息をついた後、エンはおもむろに瓦礫から硬そうな棒を拾って見せてきた。
 あの廃墟で誰が何の研究をしてたのか知りたくもないけど、檻だらけの一室があったのは記録に新しい。あれはあたしの力じゃとても壊せなさそうな程頑丈そうに見えた。
 エンはその棒を、軟らかい針金でも扱ってるような軽さで曲げて見せた。
 「これでも化け物退治は何度かやってるやで」
 痕跡を探せる性能と、化け物に遭遇した時に戦える性能。
 アオとエン、二人とも適材だったわけか。
 「なるほどね」
 あたしの驚いた顔を見て、満足げにドヤ顔するエン。
 戦力外と思ってただけに化け物と対抗出来る性能は素直に助かる。
 「それじゃあ、お手並み拝見といこうか」
 「がってん」
 にっ、と笑い返して化け物の方を振り返った。
 羽毛に覆われた猛禽類型は、節足動物型と違う方向で骨が折れる。羽毛で衝撃を緩和されるし、装甲の下の内骨格も丈夫。羽毛と装甲の二重防御のおかげで、メイスの打撃は相性が良いとは言い難い。
 エンの怪力性能なら、あるいは装甲ごと内骨格まで潰せるかもしれない。
 「まずは翼からっと」
 気絶して未だに動かない化け物に駆け寄り、巨躯を覆う羽毛に触れたその時だった。
 「エン!」
 「え? うわっ!」
 正確には羽毛に触れる直前。
 化け物は待っていたとばかりにピクリと動き、片翼を振り上げ砂埃を巻き上げた。
 視界を潰されたエンは怯んでしまい、その隙に起き上がった化け物はエンを轢き転がすように羽ばたき空へ隠れてしまった。
 あいつ、こっちが近付く隙を狙ってたのか!
 「生きてる!?」
 化け物が飛んで行った方向を確認しつつ、急いでエンに駆け寄る。
 「生きてるよ……いてて」
 転がされて土埃にまみれたエンから返事が来て、ひとまずほっとする。
 まだ目は開けられなそうだけど、破れた服と無数の擦り傷以外に目立った怪我はなさそうだ。治癒促進タブレットを多めに補充しておいて良かった。
 「内側は?」
 「大丈夫そう」
 軽傷なら問題ないね。
 目を洗うよう水筒を渡し、辺りを見回して周囲の警戒に集中する。
 視力が良いとはいえ、暗視補正がない裸眼で戦うのはリスクが高い。姿の捕捉の方を優先するとなると、迎撃の反応は経験則による気合。
 この状況、逃げた方が……いや、それだとエンが標的にされてしまう。
 「キノ」
 逡巡していると横から声がかかった。
 「救助隊と合流するまで凌げれば良いんちゃう」
 さっき叩き落とせたのは、姿を捉えられていたとか正面からの突進だったからとか、こっちが有利な状況だったからだ。隠れる場所もないのにこのまま戦っても、日が昇るまで無事でいられるか分からない。
 合流地点まで逃げられれば、最悪動けなくなっても救助隊があたし達を見つけられる。
 「それで行こう」
 ようやく目が開いたエンが頷き、あたし達は救助隊が来る座標に向かい走り出した。

 救助隊の連絡はまだ来ない。
 日が昇るまで、後二時間。

 * * *

 深夜の研究機関室長室。
 救助隊を送り出した後、ユーリエルはキノとエンヌイルから届いた膨大な量のデータ解析を始めた。
 いくつもあるモニターの一つには救助隊と二人の位置情報が逐次表示、更新されている。
 研究機関の創設や疫病の効果的な治療といった技術を確立した驚異的性能ではあるが、身体能力は平均かそれ以下しかないユーリエルが今二人に直接出来る支援はあまりに少ない。送り出した救助隊と二人が一刻も早く合流できるよう最短距離のルートを提示し、有事の際最適な指示を出すくらいだ。
 「(あとは、化け物に遭遇していなければ良いのですが)」
 データの受信は既に終わっている。
 その理由が探索の完了ではなく、化け物の襲来による強制終了とは気付いていない。
 「ユーリエル」
 他に誰もいない部屋の中、イツカの声がユーリエルにだけ聞こえた。
 「どうしました?」
 「データの量が多すぎます。解析を手伝いますので外部演算装置の使用許可を要求します」
 「分かりました。お願いします」
 整頓された机の上に置かれた数少ない物理端末の中から、耳掛けヘッドセット型の演算装置を手に取り耳に掛ける。
 「破損データはこちらに回して下さい。演算装置ではメモリが足りませんので」
 電源スイッチを爪で弾いて起動すると、いくらか頭が軽くなったような感覚と共に、モニタに表示されていた膨大なデータの解析速度が加速し始めた。
 同時に少しずつ増えていく破損データを、一つずつ拾っては修復していく。書き散らかされた愚痴といった明らかに不要なデータはとにかく、修復が不可能な程破損が酷いものは諦めて削除するしかない。
 単調なようで単調とは言い切れない作業を繰り返す合間に、位置情報のモニターをチェックするのも忘れない。
 キノとエンヌイルは既に廃墟から離れ、救助隊との合流地点に向かっているようだ。
 到着までの日数を考えると、二人が合流地点に着いても二、三日は待たせる事になる。食料や蓄えは十分保つだろうが、それまでに化け物の襲撃や不測の事態が起きる可能性は常に付き纏う。
 「無事に生還するのを願うばかりですね……」
 嘆息が漏れたのを機に作業の手を止め、わずかに甘味のある栄養補給タブレットと水を口にした。
 タブレットは量産こそ出来るようになったが、一般に出回らせられるようになったそれは材料本来の苦味しかない。他の味を持たせようと試作したものの、量産するには材料が足りず後回しにされている。
 数少ない試作品のそれを水と一緒に飲み込んだところで、ユーリエルは演算装置の処理が止まっている事に気が付いた。
 「イツカ?」
 装置が動いていないというのは、イツカの作業が止まっているという事。
 記録の欠落こそあれど、膨大な量のデータの仕分けと閲覧程度は負荷の内にも入らない彼女の性能は決して悪くない。
 「記録……平行世界……」
 しばらく続いた沈黙の後、イツカから応答が返ってくる。
 しかしその声音は今までの機械的なものではなく、感情的と断言出来る程とても悲痛なものだった。

 「違う。ゲートも、機関も、閉じなければならなかったんです」

 訴えるように叫び、イツカは演算装置の接続を強制切断してしまった。

 * * *

 どれくらい走っただろうか。
 走りながら端末の地図に示された座標を見て、都度方向を修正する。その隙や岩に隠れて息を整える時を狙って化け物が急降下して襲いかかってくるのを、エンが辛うじて反撃で追い返していた。
 「やべえ、投げるもん尽きた!」
 目標まであと三分の一のところでエンの得物が尽きた。得物といっても逃げ出す時潰れた廃墟から拾って来た鉄塊とか、ほとんどガラクタと呼ぶしかない消耗品だ。
 あったからといって決して無傷でいるわけじゃないけど、それがあったからここまで逃げられたのも事実。
 「前、化け物来る! あたしがやるから上の警戒頼む!」
 「投げるもんないのに来たらどうすんだよ!?」
 「自力で何とかしろ!」
 ゴーグルを上げ、正面切ってこっちに向かってくる節足動物型の化け物を視界に据える。
 襲撃が不規則で頻繁にゴーグルの着脱をしてる今、時間を計れないせいであと何分裸眼で戦えるか全く分からない。
 こんな戦い方した事ないよ。
 「そんな色してれば殴ってくれって言ってるようなもんでしょ!」
 蛍光色という自己アピールが強すぎる体色の上、倒しやすい中型や小型ばかりなのが救い。
 地を這う八本足型の頭部を叩き潰し、多足甲殻型の硬い殻に覆われた背中を力任せに粉砕する。砕けて動かなくなった化け物を見渡し、全滅を確認したところですぐにゴーグルを下ろして裸眼でいる時間を節約。
 「終わっ……」
 振り返ると、エンが見当たらない。
 えっ、まさかやられた!?
 あちこちに散らばる蛍光色の残骸に紛れてるというわけでもない。空を見上げると、地上とは対照的に黒い化け物の影が飛んで……あれ、何か動きがおかしいな。
 何かを振り落とそうと暴れているような飛び方をして、どんどん高度が下がって……。
 「ちょちょちょ待っ!?」
 その原因に気付いたと同時、ゴキリ、と嫌な音が地上にも届いた。
 暴れていた化け物の翼が変な方向に曲がり、合間からちらりと見えたオレンジの頭。間違いない、エンだ。
 どうやったか知らないけど、あたしが節足動物型を相手している間に襲いかかってきた猛禽類型の背中に乗り込んで、力づくで翼をへし折ったのか。
 とんでもないところにいるけど無事なのは分かった。
 分かったけど、この後がどう考えても無事で済まない。
 「避けてくれええええ!!」
 翼を折られ、失速した化け物の身体がぐらりと揺らぐ。
 もう片方の翼を動かし、地上のあたしを巻き添えにしようともがいているのがすぐに分かった。
 あの巨体じゃどれだけ距離を取ろうと負傷は免れられない。
 それでも可能な限り逃げなきゃ最悪コアが壊れるんだから、迎え撃つなんて無謀な選択肢は最初から捨ててる。
 あたしはそれで良いとして、あとは、エンの生存能力の高さに賭けるしかない。

 ズズン、という地響きに足を取られて盛大に転倒する。
 「いってて……」
 顔面擦りむいた。けど、ひりつく痛みに構ってもいられない。
 頭だけ起こして後ろを見ると、化け物の硬い羽毛が身体に覆い被さっていた。肝心の本体や装甲はあたしに届かず、ひとまず圧死は免れたようで安堵のため息が出る。
 羽毛と言ってもかなり硬く、生体アンドロイドの皮膚では簡単に傷が付く。下から這い出るだけでも無数の切り傷は避けられなかった。
 コケた時に脱げたゴーグルを拾った瞬間、ズキリと強烈な頭痛に襲われる。残っていた時間をこんな形で使い切っちゃうとは。
 急いでゴーグルを着け、頭痛が少しずつ引いてようやく全体を見渡すだけの余裕が出来る。あ、メイスあった。
 節足動物型と戦っていた場所からはそう離れてなさそう。猛禽類型が大きすぎて、距離感が掴みにくい。
 当の化け物は落下の勢いと重みで地面にめり込んだまま動かないけど、油断は禁物だ。仕留めるとまで行かなくても、少しでも動いたら殴れるよう、警戒しながら周囲を歩く。
 「エン?」
 化け物がクッションになっただろうけど、どこに落ちたのやら。
 「ここ、ここ」
 猛禽類型を挟んだ向こう側、節足動物型の残骸の方から声がする。
 化け物を踏み越えて向かうのは悪手だ。焦る気持ちを抑え、迂回して声のする方へ足を運ぶ。
 残骸の隙間からひらひら動く手が助けを求めていた。
 「エン、無事……」
 とは言い難い姿がそこにあった。
 「ちょっとミスった。さすがに虫の殻じゃクッションにならんな」
 「当たり前でしょうが!」
 突っ込みを入れつつ、周りの残骸をどけて埋もれた身体を掘り出す。
 本人は軽口叩いてるけど、その見た目は酷いものだった。無数の切り傷は言うまでもなく、着地の失敗で両足が変な方向に曲がってる。更に言えば、化け物の硬すぎる残骸の欠片がめり込んだり刺さっていたりと、見た瞬間目を背けたくなる有様だ。
 ここまで酷いと治癒促進タブレットはほとんど意味がないどころか逆効果にもなりかねない。骨折や内蔵破損の治癒は下手に促進すると、おかしな治り方をする。
 「引っ張り出すよ。……っせーの!」
 「いででででで!!」
 ある程度残骸をどけて身体全体が出てきたところで、脇を抱えて引きずり出した。
 「もうちょっと優しく救出して!」
 「あたし一人でそんな繊細な事出来ると思う?」
 「ですよね」
 素直でよろしい。デコピンで許す。
 口では平気そうにしてるけど、どう見てもやせ我慢なのは確かだ。全身打撲と両足の複雑骨折がどれだけ痛いかなんて、数え切れないくらい戦ってきたあたしがよく知ってる。
 「鎮痛剤は?」
 「確か胸ポケットに……あった」
 一面の荒野、辺りを見渡しても背中を預けられそうな物は当然ない。いや、あるにはあるけど、化け物に背中預けるのはどう考えても自殺行為だ。
 動けなくなるからあんまりやりたくないんだけど……仕方ない。
 「とりあえずそれ飲んで。後はあたしが仕留める」
 「良い眺うぐぇ」
 エンの頭を膝枕に乗せ、受け取った鎮痛剤を水と一緒に口に突っ込んで黙らせる。
 あたしに色欲や嗜好は搭載されてないわけじゃない。けど興味ないと言い切れるくらいには薄弱なものだし、そういう目で見られても面倒しかないのはスラムを見れば明らかだ。
 鎮痛剤を飲み込んだのを確認し、ゆっくりエンの上体を起こした後、膝を抜いて立ち上がった。
 短い幸せだった、とか何か寝言抜かしてへこんでるのは見なかった事に。
 「じゃ、ここで待ってて」
 受け取った残りの鎮痛剤を飲み、前方の化け物を見る。
 エンを助けてる間に復帰したらしい化け物の眼は、がっちりあたし達の方を捉えていた。……タイミング悪いなあ。
 とにかく今は、あいつを仕留めて安全の確保が最優先。
 飛べない手負いならあたし一人で十分行け
 「待った」
 走り出そうとした次の瞬間、足首を掴まれ派手に転んだ。
 また顔面擦りむいてめっちゃ痛い!
 「いったー……何すんのさ!?」
 掴んだ本人を睨むと、激痛に歪んだ深緑の双眸があたしを見ていた。
 交代すれば身体の痛みも引き継ぐと分かっていながら、アオは何か言う為に出てきたみたいだ。
 「あれの弱点、どうやって潰す気なん?」
 「どうって、頭潰して終わりでしょ?」
 相性が悪いってだけで、どの形だろうが頭をやれば終わりだと思ってたけど違うのかな。
 「多分、あれは学習プログラムが入ってるんやわ。次に正面から行っても頭守られてジリ貧やんな」
 学習プログラム。確かに、思い当たる節はある。
 気絶したふりでエンを油断させ、轢き潰そうとしたあの行動だ。あれはアンドロイドを見つけ次第無策に襲いかかってくる節足動物型にはない。
 獣型と戦った数は少ない上にすぐに決着がついていたから、あの化け物だけが特殊なのか、獣型全般に学習プログラムが搭載されているのかは分からない。ただ、戦いが長引けば長引くほど、仕留めるのが厳しくなるという事は理解できた。
 「それじゃあどうしろって……」
 片方が歩けなくなった今、あたし達は逃げ切るという手段を絶たれてしまった。一方、飛べなくなったとはいえ、あっちはアンドロイドが走るより早く地上を歩く事ができる。
 戦おうにも、ゴーグルを外したところで、裸眼で動ける時間はあまり回復していない。加えて頭を守られては、仕留めるどころかあたしが仕留められる側になってしまう。
 「これは賭けやけど、あたいに……じゃない、エンに任せて欲しいんやわ」
 「エンに?」
 何か策があるのかな。
 アオの言う通り、このままあたしが出てもどの道詰みだ。でも、そのボロボロの身体で何をする気なんだろう?
 「まさか特攻なんてバカな真似はしないよね?」
 「あたいがいる限りそんなバカはやらせんわ」
 「それは是非止めといて」
 少なくともあたしじゃ絶対止められないからね。
 「で、任せるって具体的には?」
 話が脱線する前に方向修正。
 アオは言いにくそうな顔で目を逸らした。
 本人が賭けって言ってる時点で、碌な作戦じゃないと分かっての提案なのかもしれない。
 「飛行する化け物は上からの攻撃に対抗する手段が乏しいんやわ。結論から言うと、エンにキノを投げてもらって、頭を叩けばええんな」
 「……マジで?」
 「マジやわ」
 本当に碌でもなく無茶ぶりの過ぎる提案に一瞬耳を疑った。
 いや、上から叩けば確実に仕留められる理屈は分かる。けど、その方法が力任せな上に調節の難しい空中、挙げ句一発勝負って!
 より一層深くなる眉間が、不本意の表れなのか、痛みに耐えている顔なのか分からない。けど、アオにとって現状を考えた末に出した、最も生存率の高い作戦なんだろう。
 一歩間違えればエンと同等の重傷、当たりどころが悪ければコアの破損。
 いや。
 でも。

 現状と作戦の無謀さと、何より、キトがいないという安心感の欠落が、思考と判断を鈍らせる。

 「うわっぷ」
 逡巡して思考に埋もれかけた時、突風と砂が顔を叩いた。
 ゴーグルで目は守られたけど、口に入った砂が不快感を上げる。強制的に切り替えられ状況処理が追いついていない思考で顔を上げると、風が吹いた方向でより一層濃い砂埃が巻き上がった。
 その中心にいるのは、めり込んだ地面から足が抜け、自由に歩けるようになった猛禽類型の化け物の姿。
 「考える時間はくれないってか」
 選択の余地はなくなった。
 アオとて、もっと安全で確実な案があればそっちを出すだろうし、代案を出せと言われたら、あたしの分析能力では出てこない。
 身体能力に偏ったあたしやエンの性能では、情報処理に関してはアオの性能には逆立ちしても敵わないのだ。
 理解し難い作戦だけど、ここは乗っかるしかない。
 「傷口に砂塗り込むとか性格悪すぎん? あいつ」
 視界を横に戻すと、顔の砂を振り落としながら、ガタイに合った声が愚痴をこぼしていた。
 あたしの承諾を得る前にエンに交代したみたいだ。
 もしかしたらアオは承諾を尋ねていたのかもしれないけど、思考に埋もれると聴力からの情報が遮断されてしまって、聞き逃した可能性の方が高い。
 本人には悪いけど、まあ、引っ込んでてもエンを通して聞こえるだろうし大丈夫だよね。
 「やるからには上手く投げてよ?」
 満身創痍の身体でうまく投げられるのかとか、どうやって投げるつもりかとか、不安や気になる点を挙げればキリがない。
 「投げるって言うより発射台になる感じだな」
 そんなあたしの心配をよそに、エンはよく分からない例えを言いながら、自分の肩をぽんぽんと叩いて『乗れ』と促してきた。
 「……肩車?」
 「肩の上に立つ」
 他人を踏み台にするのは気が進まないけど、乗れって言うんだから仕方ない。
 渋りつつ、言われた通り肩に足を掛け、うまくバランスを取りながら両足を乗せた勢いで立ち上がった。
 怪力性能なだけにふらついたりせず安定感がある。
 乗り心地を確認して顔を上げると、化け物が走り出すまさにその瞬間が目に入った。
 「げ、来る――」
 タイミング最悪!
 「そおい!」
 エンも化け物の動きに気付いたのか、タイミングの確認諸々をすっ飛ばして慌ててあたしの踵を掴んだ。
 状況変化の加速に、さっきまでの逡巡や迷いが一気に吹き飛ぶ。
 ここまで来たらもう覚悟を決めるしかない。
 踵を掴む手はバネのように強く身体を押し上げる。
 いきなり掴まれた瞬間は焦ったけど、それくらいで体勢を崩す程バランス性能は悪くない。踏ん張って力を溜め、エンの手を蹴り、化け物の頭目掛けて一直線に飛ぶ。
 元々化け物と距離はそれ程離れていなかった上、こっちに向かってきた分、飛距離は更に短い。メイスを殴りつける姿勢に直すくらいしか猶予はない。
 この軌道なら化け物の上には確実に乗れる。けど、勢いのまま頭をやれるかは本当に賭けだ。
 ――それでも。

 「あたしを、なめんなよ!!」

 狙った目標と依頼は必ず達成する。
 だからこそ、あたし達双子は有名だったんだから。

 化け物を叩く鈍い音と確かな手応え、同時に、バキンという割れた音。
 メイスの破損でバランスを崩し、着地の勢いを殺しきれなかったあたしはそのまま化け物の背中を転がって地面に落ちた。
 直後、地面から化け物が倒れる振動が伝わる。落ちた時身体をあちこち打ったせいですぐに起き上がれず、状況を確認出来ないのがもどかしい。
 止んだ振動に遅れて飛んできた砂埃と、静寂が辺りを包み込む。
 ……うっ、砂が目に入った。
 視覚を潰されて、外れたゴーグルの存在にやっと気が付き手探りで探す。手の届くところには落ちてないようで、いくら手を動かしても何も掴めなかった。
 目を開けなければ不具合の頭痛も起きないけど、このままじゃ何も出来ないし動けない。
 ただ、これだけ静かでゴーグルを探すだけの余裕も取れたって事は、多分化け物を仕留めるのに成功した可能性は高いって事だ。
 「エン、生きてる?」
 自分の復帰はひとまず後回しにして、次に重要な、エンの生存確認に声を上げる。
 化け物の巨体が倒れる時、動けないエンを巻き込んだかもしれない。討伐に成功しても、仲間が死んだらそれは失敗と同義だ。
 「あとちょっと距離が短かったら死んでたわ!」
 見えないけど、離れた場所から大声で返事が来た。かなりギリギリだったようだけど、心配が杞憂に終わってホッとする。
 「そっちはどうなってる?」
 「ゴーグル落として目が見えない」
 耳には届いてないけど、『ええ……』って呆れた声が聞こえた気がした。
 とりあえず治癒促進タブレットを齧って、動けるようになったらゴーグル回収してエンと合流だ。
 相棒のメイスも壊れちゃったし、これはしばらく傭兵稼業も休止せざるを得ないな。

 瞑っている瞼を貫通して、光が差し込む。
 夜闇の死闘はようやく終わりを告げ、後は救助隊の連絡を待つだけになった。
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