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8 - Recollection (3)
惨劇が起きた因果を
本当は何となく分かっていた
周りに言えぬまま皆殺されて
言わなかったのは間違いだろうか―。

―「Parallel World」

十年前。
最後に手にかけた彼女の話は、今でも覚えている。
今際の際に残した、その笑みも。

 「―お兄ちゃん?」
少女の声が、洞窟へ逃げる幼い龍輝の足を止めた。
近くにある大きめの木に身を隠し耳を澄ますと、がさがさと草をかき分ける足音が聞こえる。
木の影からそっと様子を窺うと、見覚えのある少女が辺りを見回していた。
桃色のセーターと亜麻色のプリーツスカートを着た彼女が最後の村人であると確信した龍輝は、木の影から出て少女の方へ歩み寄っていった。
「確かお前…あいつの妹だったよな」
「!…あなたは」
待ち人とは違う訪問者に、少女―湊はぎくりとして身を強ばらせた。
その理由は普段立ち入りを禁じられている区域に踏み入った事への罪悪感だとすぐに分かる。
血にまみれた龍輝の姿を見ても驚いたり怯える様子のない湊に違和感を抱きながら、龍輝は握っている狩猟ナイフを持ち直して正面に構えた。
「お前で最後だ」
その言葉と向けられたナイフを目の当たりにして、湊は村で何かが起きた事、その犯人が龍輝である事を知る。
一歩ずつ、ゆっくり近づいてくる龍輝とナイフの刃先を交互にみやりながら、湊は恐怖と不安の入り混じった表情を浮かべ後退した。
いつ刺されるかも分からない中、背を向けて逃げ出そうとしない湊に龍輝は近づく足を止めた。
「なんで逃げない?」
「え?」
龍輝の問いかけに何か答えようと口を開けるが、言葉に詰まり押し黙る。
少しの間を置いてから、決意した様子で龍輝を見据えた。
「あのね、あなたに聞いてほしい事があるの。死ぬのは、その後じゃだめ?」
尋ねれば罵倒か暴力しか返ってこないのが当たり前だった龍輝は、自分に何かを聞く権利ができた事に驚きを隠せなかった。
「…命乞いなら聞かないからな」
ナイフを下ろす事はなくとも、龍輝自身に話を聞く意思があると理解した湊は、スカートの裾を握りしめて小さく頷いた。

 龍輝が遠くから見たことのある記憶では、湊は説教臭く物事をはっきりと言う、年齢以上にしっかり者の少女という印象だった。
その彼女が言葉を言い躊躇う様子を見たことがある村人は、恐らくいない。
「あのね、きっと信じてもらえないかもしれないけど」
スカートの裾を指先で撫でながら、様子を窺うように龍輝を見やり言葉を続けた。
「私ね、鬼子っていうだけであなたが怒られたり、叩かれたりするの、おかしいって思ってた。学校でも差別はいけないって教わったのに、皆あなたには平気で無視したり悪口言ったりして、矛盾してる」
たどたどしく話す声と姿は、村中で見た湊とはまるで別人のような印象を受ける。
それ以上に目を見開かせた話の内容は、龍輝の不信を煽るのに十分な言葉だった。
握ったナイフに力が入り、二人はわずかに振れる刃先を見つめて互いの反応を窺う。
沈黙に耐えられなかったのか、あるいは返ってくる答えが怖いのか、湊が先に口を開いた。
「そんなの変だよってお父さんとお母さんにも話したんだけど、分かってくれなかったわ」
父と母はしきたりや村の伝承の古書まで持ちだして説教をしたという。
俯くその顔に影が落ち、その濃さに曇った空が更に淀んでいる事に気付く。
黒い雨雲は風を連れ、徐々に村の方へと近づいていた。
「だからね、決めたの。お兄ちゃんと私が神社の当主になったら、そんな差別はやめようって」
「嘘だ」
湊の一言は、龍輝の琴線に触れた。
「嘘じゃないよ、本当に」
「だったらどうして!」
言葉を遮るために荒げた声が感情の波をたて、衝動は両手で握ったナイフを振り回したことで発散される。
「だったらどうしてあいつは他の奴と一緒に僕を閉じ込めたんだ!?どうしてお前はこうなるまで何もしなかったんだ!?」
浴びせられた怒号に、湊は思わず身を強ばらせた。
「差別をやめようなんて、そんなの嘘っぱちじゃないか!」
自分を納得させる十分な言い訳をしてみろと言わんばかりに、龍輝は湊を睨みつける。
頭の中で言葉を反芻し、湊は問いに対する答えを自身に問う。
「それは―…」
どうにか龍輝を落ち着かせようと口を開くも、何故兄がそんな事をしたのか見当がつかない。
「―…ごめんなさい」
考えあぐねた湊は肩をすくめて謝る他なかった。
答えを得られなかった龍輝は深く溜息を吐いて、抱えきれなくなってきた憤怒と憎悪を零す。
「…少しでも答えを期待した僕が馬鹿だった」
吐き出しても吐き出しても湧いてくる怒りをナイフに込め、震える声が草木を薙ぐ。
「結局皆同じなんだ。お前も母さんも他のやつらも」
「まって、私は本当に」
「もういい!」
叫びに応えるように、湿った空から冷たい雨が降り始める。
その雨は、絶望し憤る龍輝の手を振るわせるには十分な起爆剤だった。
「村に縛られるのはもうたくさんだ!」
憎悪に満ちたナイフを構え、絶望に抗うように眼前の少女めがけて走りだす。
かわすのに十分な距離があるはずのそれを湊は身構えようとせず、それどころか受け入れるようにナイフを自身の身体におさめた。
小さな身体に沈んだ刃は急所を的確に切り裂き体力を奪うと同時に、かすかな違和感をナイフの主に伝える。その正体が少女の後悔だと気付いた時には、既に大量の血が地面を這っていた。
逃げ惑う村の子供にいくら刃を突き立てようと罪悪感など微塵も感じなかった龍輝の懐で、血を流し膝を折る湊の姿と、刺したナイフの感触が龍輝の感情の一端を侵食していく。それは罪悪という道徳的なものではなく、喪失感に等しい。
その焦燥に対処する術を知らない龍輝は震える手を離すことも、湊の身体から引き抜くこともできないまま、ただ痛みに耐え震える少女の背中に目を落とし立ちすくんでいた。
「ごめん、ね」
切れ切れの呼吸に合わせ、細い声が囁く。
「なにも、助けて、あげられなくて」
のまれかけていた意識が引き戻され、震えていた手が止まった。
後悔に満ちたその声は根拠や理屈を必要としない、彼女の本心だと知る。
その温かさに戸惑い、喪失への焦燥に駆り立てられながら、静かにナイフを引き抜いた。
支えを失った湊はその場にくずおれ、腹を押さえる手は徐々に赤黒く染まっていく。
雨に滲み広がる血だまりに膝をつき、苦痛に耐える眼前の少女に手を差し出した。
「…遅すぎたんだ」
無造作に湊の腕を取り、仰向けになるよう促す。
身体の内で暴れまわる痛みが動きを妨げ、湊は首を振って自力では動けない意思を伝える。
それを理解した龍輝は浅い溜息をついて思考を巡らせた。
「僕をどう思っていたか知らないけど、言うのが遅すぎたんだ…」
ナイフを地面に立て膝をつくと、湊の足を抱えてどうにか体を仰向けにさせ、膝と腕で背中を支える。
思った以上に失血が早いのか、触れて分かるほどに体が冷たくなってきていた。
霞んできた目は既に焦点が合わなくなってきているが、少女は朧げに映る少年の顔を見上げた。
強くなってきた雨に打たれ、ずぶ濡れの姿は逆光で表情がよく見えない。空から落ちてくる冷たい雨粒より温かい雫が、彼の表情が見えずともどんな顔をしているかを教えてくれた。
それを理解した湊は安堵したような、悲しむような微笑みを残して目を閉じた。
「…そうかもね」
一向に止む気配のない雨は幼い龍輝と湊の体力を徐々に奪っていく。
それでも龍輝は、湊を守るように抱きかかえていた。

 不意に強い風が吹き、突き立てていたナイフが倒れる。
その音と泥飛沫で我に返った龍輝は慌てて辺りを見回した。
明かり一つない森に雨の音が響き渡る中、かすかに人の足音が聞こえる。
足音はまだ村の中を歩き回っているが、じきここにやってくると本能的に悟った龍輝は力を振り絞ってナイフを掴み立ち上がった。
何日も強いられた絶食と、雨による体温の低下で足元がふらつく。
「(―逃げなきゃ)」
足音の主はナイフをくれたあの男ではない。
人がいる以上、男の生死を確認するために村に戻るわけにはいかない。
一刻も早くここから逃げて、生き延びなくては。

 本能に突き動かされるまま、少年は暗い森の中へ消えていった。
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