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7 - Fragment
苦しみなんてどうでもええ。
お前がいる限り、皆救われないんや!

地獄を知らないお前に何が分かる!

―「Parallel World」

 掴んだ龍輝の頬を殴り、胸ぐらを押して地面に叩きつけた。
 素手は殴った衝撃をそのまま拾い上げ、痛みを浩一に直接訴える。
 「殺人鬼のお前に言われたくねーよ」
 脇腹に蹴りを入れ、立ち上がるよう促す。
 頬の泥と口から漏れてくる血を服の袖で拭いながら、龍輝はのろのろと立ち上がった。淡い緑のパーカーは汚れ、拭った袖口は血の赤を吸って変色していく。
 殴られた痛みにも顔色一つ変えない龍輝に、浩一の憎悪は更に膨れ上がる。
 「ちょっと殴られたくらいじゃ痛くも痒くもないってか」
 奥歯を噛み、体を沈めて一歩踏み込んでもう一度殴りにかかる。
 見てから避けるには厳しい早さであるその動きを、龍輝は予想していたかのような反応速度で躱してみせた。
 空振りした浩一はバランスを崩して転倒しそうになったが、すんでのところで受け身の体勢を取り、前転して勢いを殺し立て直す。
 振り返った一瞬の間を置き、狩猟ナイフを手にした龍輝の腕が浩一の頭めがけて振り下ろされる。頭で考えるよりも先に体が反応し、振り返る動きの流れに乗って左へ転がり、ナイフを避けた。
 思ったより深く刺さったのか、龍輝は地面からナイフを引き抜けずもたついている。
 「させるか、よっ!」
 手間取っている龍輝の肩に蹴りを入れ、よろけたところで頬を殴って転倒させる。
 うつ伏せに倒れた背中を踏み、浩一はそこで一度暴力を振るう手を止めた。
 「…お前がいたから皆死んだんだ」
 呪詛のように漏れた声が龍輝の頭を掠る。
 「萌葱も立樹もお前が殺した。災厄をもたらしたお前に償いの余地はねえ」
 背中を踏んでいた足を上げ、肩口を小突いて仰向けにさせる。
 そのまま立ち上がろうとする龍輝をもう一度踏み、地面に背中がついたところで脇腹や顔に何度も蹴りを入れて反撃を封じる。その度に呻き、痛みに悶える姿は、浩一の良心には響かない。
 「立樹…は、僕じゃない」
 蓄積した負傷で咳き込みながら、龍輝がかろうじて反論の言葉を返した。
 浩一は馬乗りになって振るっていた暴行を止め、喉にひっかかっていた血を吐き出している龍輝の顔を見て、忘れていた木の傷跡を思い出す。
 「蒼鵞はお前が殺したって言ったぞ。あの木の跡も、お前に仕掛けた罠だろ」
 言葉で否定しつつも、浩一の頭に嫌な予感のノイズが走る。
 人の首の位置を中心としたおびただしい量の血痕は、誰が見てもそこで人が殺された痕だと分かる程惨たらしいものだった。
 もし蒼鵞が龍輝に向かって武器を仕掛けたのなら、首をはねられて死んだのは、今浩一の目の前にいる龍輝と考えた方が自然である。
 しかし、現実には立樹が死に、龍輝は生きている。
 蒼鵞の念力による糸の扱いと精度の高さはよく知っている為、首をはねる相手を間違える事はまずあり得なかった。
 「…あいつ、最初から?」
 掴んでいた胸ぐらを離し、かたく握っていた拳がわずかに緩む。
 動きの止まった隙を突いて龍輝は殴りかかろうとしたが、繰り出した左手はあっさりと止められた。
 その反撃で埋没しそうになっていた思考が戻ってきたのか、浩一はもう一度胸ぐらを掴んだ。
 「帰ったら色々と聞く必要がありそうだな」
 その前に、と付け足し、受け止めた左手を握り潰すように力を加える。
 「お前を殺してからだ」
 ギリギリと加わる力で龍輝の左手は悲鳴を上げる。その痛みに苦悶の表情を浮かべながら、龍輝は空いている右手をそっと自分の背中へ回した。
 握る手の方に意識が集中しているのか、浩一はその動きに気付いていない。
 「―死ぬのは」
 痛みに耐え、かろうじて発せられた声で、ようやく右手の存在に気がつく。
 急いで左手と胸ぐらを離し、その手に握られた得物を叩き落とそうと上体をあげようとしたが、既に遅かった。
 「お前の方だ」

 浩一に狙いを定めたそれは冷たく光を返し、熱をもって眼球を貫く。
 一瞬で自分の意識と命を奪ったものの正体を見る事もできないまま、浩一はくずおれた。
 その正体―ガバメントを握り、銃身を挟んで様子を確認した龍輝は、自分の上に倒れた浩一を静かに下ろして座り込んだ。
 左目を撃たれた浩一は力なく仰向けに転がり、右目を開けたまま絶命している。龍輝は返り血で貼り付く服を引っ張りながらしばらくそれを見つめ、打撃で痛む全身に無理をおしてよろめきながら立ち上がった。
 使い慣れない拳銃の音で鼓膜が麻痺しているのか、川の流れる音が遠くに聞こえる。
 「(もう一人は…)」
 喉元までせり上がる血を吐き出し、川岸の方へ目をやる。
 背の高い雑草の向こうに見える砂利道には血痕だけが残り、倒れていた舞乃の姿がどこにも見当たらない。
 「(いつの間に!?一体どこに―)」
 焦燥を隠せない足取りで一歩進み、血痕を凝視すると、残された血は川下ではなく森の中へと続いている。
 近くにいると訴える直感に従い、龍輝は辺りを見回そうと首をまわした瞬間、背中に激痛が走った。

 突き刺す痛みは殴打によるそれとは全く異なる。
 痛みの根本をその目で確かめるまでもなく、背後から腰を刺されたのだと頭が理解するのにそれほど長い時間はかからなかった。
 飛びそうな意識をどうにか繋ぎ止めて首をまわすと、紅色の髪と血だらけの白い肌が背中に張り付いているのが見える。切れ切れの浅い呼吸に合わせて肩が震え、その振動は彼女が持つ得物を通して龍輝に伝わってきた。
 「よ、くも…」
 か細く、地の底を這うような声で舞乃の口が動く。
 「絶対…許さへん…」
 柄に飾り彫りのあるナイフを背中から引き抜き、一度龍輝から離れると同時によろめいて木にぶつかる。その衝撃が脇腹の傷に響いたのか、絞りだすように呻き声をあげて舞乃はその場に座り込んだ。
 地面に膝を落とした龍輝は傷口を押さえ、取り落としたガバメントを草を巻き込んで握ったが、背後に座り込む舞乃の方へ振り向けずにいた。体をひねるには、腰の負傷は致命的な問題である。
 どうにか片膝をたて、地面についた方の足を軸にして、引きずるように体の向きを変える。
 脇腹に投擲ナイフが刺さったまま座り込んでいる舞乃は、痛みと憎悪で顔を歪めたまま龍輝を見据えていた。
 焦点の定まらない目は既に濁り始めている。
 「…地獄を知らないお前に何が分かる」
 川の音にかき消されそうな程小さな声で呟いた言葉が聞こえたのか、舞乃の短刀を握る手にわずかに力が入る。
 何かを言い返そうとして動く口からは空気だけが抜けていく。
 その答えを聞くつもりのない龍輝は、失血と痛みで震え始めた手に収まるガバメントを持ち上げ、舞乃に狙いを定めた。
 銃弾は眉間を貫き、硝煙越しにそれを見届けた直後、引きずり込まれるように龍輝の意識は遠のいていった。

 「…あらあら、もうお休み?」
 意識の落ちた龍輝の側で、くすくすと笑う声が降ってくる。
 凛と通る声の主は音もなく歩み寄ると、綺麗に整った顔に笑みを浮かべながら龍輝を見下ろした。
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