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5 - Recollection (2)
あの村は異常だった
それが僕を今に至らしめる
醜い心は自分より「ひくいもの」を作って安堵を得る
その「ひくいもの」があの村では僕だった
―「Parallel World」
それが僕を今に至らしめる
醜い心は自分より「ひくいもの」を作って安堵を得る
その「ひくいもの」があの村では僕だった
―「Parallel World」
どうして行かなかったんだろう。
あの日、約束した場所に。
「―それでねそれでね、やっと見つけたの!」
学校の制服を着た少女は嬉しそうに犬のキーホルダーを取り出して見せた。
隣を歩く同じ制服の少女は、それに気付かない様子で明後日の方向を見ている。キーホルダーを手にした少女はむくれて頬を膨らませながら、そっぽを向いている少女が見ている方を覗き見た。
目線の先にはバス停があり、ベンチに一人の男が座っている。
転寝をしているのか、開いた文庫本を持つ手に力は入っていない。毛量の多い髪で俯いた顔は見えないが、髪を押さえるように黒い紐が頭を横断しているのが見える。それが眼帯で、およそどちらかの目を失明しているだろう事は少女にも理解できた。
その男、蒼鵞は夢の中を彷徨っていた。
「ははーん……真央はあの人が好みなんだ?」
「え!?ち、違うよ!」
「またまたー」
からかう少女に対し、男を見ていた少女は必死に否定したが、耳まで赤くなった顔は肯定を隠しきれない。
「だ、か、ら!違うってば!!」
思わず大声を出してしまい、ハッとした少女は男の方を振り向いた。幸い、目が覚めない程深い眠りに落ちているのか、蒼鵞は俯いた姿勢のまま微動だにしていない。
ホッとした二人は視線を外し、会話の余韻に浸りつつ、再び歩き始めた。
少女の恋慕を、蒼鵞は知らない。
舗装されていない山道を歩いて隣町の学校へ通い、森や林の中を庭に遊びまわる。
偏屈な大人達に囲まれながらも、村の子供達は元気だった。
たった一人、鬼子の存在を除いて。
「蒼鵞!」
学校の帰り道、背後から声をかけられ振り向く。
なだらかな一本道を、ランドセルを背負った二人の少年が走り、幼い蒼鵞の元へ駆け寄ってきた。
「何?」
「今日さ、暇なら遊ぼうぜ!」
「あっちにでっかい木あるじゃん。あの上に秘密基地作ろうよ」
「お、いいなそれ。行く行く」
遊びの誘いにのった蒼鵞は少年達の後を追い、二人の指す大きな木を目指して走り出そうとした。
「お兄ちゃん!」
三人の頭を幼い少女の声が叩き、その声にギクリとして立ち止まる。
「またそうやって宿題さぼる気でしょう!お父さんに言いつけちゃうよ?」
「うげ、湊…」
蒼鵞を兄と呼び、ミナホと呼ばれた少女は腕を組んで蒼鵞を見上げている。
外にはねている癖毛はショートカットにまとめられ、知的な丸い目は兄に似つかない。整ってはいないが愛嬌のある容姿は、見る相手に実年齢よりも幼い印象を持たせるには十分だった。
「だからテストの点数が悪いって怒られちゃうんだよ。少しは跡継ぎの自覚を持って勉強しなきゃ!」
「あー…」
「まーた始まったよ、妹のお説教タイム」
妹に説教される同級生の姿を見てこぼした言葉が聞こえたのか、湊は二人の少年の方へ首をまわす。
「そのお兄ちゃんを遊びに誘う二人も一緒だからね!」
湊の矛は決して一つとは限らなかった。
説教が始まってからどれくらいの時間が経ったのか、時計のない山道では太陽の傾きで計る他に方法がない。
「それじゃ、今日は見逃してあげる」
湊の説教から解放され、三人は内心ほっとする。
「その代わり」
長々と続いた説教に続く言葉に再び体が強張る。湊は人差し指を立て、長時間の説教にもかかわらず枯れていない声で言葉を続けた。
「お父さん達に内緒で行きたいところがあるの。今度それに付き合ってね!」
「へ?」
蒼鵞は間の抜けた顔で妹を見下ろした。説教は声をかけるきっかけに過ぎず、本当の用事はそれだったのか、湊の双眸は好奇心に満ちた輝きがある。
「それじゃうまく誤魔化しておくから、早めに帰って来てね。いってらっしゃい」
返事を待たず踵を返すと、湊は手を振り、元来た道を小走りで足早に去っていった。
「あ、ちょっ……」
その先には行くな!
「…もしもし?大丈夫ですか?」
聞き慣れない少女の声で、のろのろと引きずっていた睡魔が一気に失せる。
しかし、強制的に現実へ引き戻された蒼鵞の意識はうまく現実を認識できず、睡魔が残した微睡みを引きずりながら声の主の方へ首を捻った。
眼前で手を振っていた声の主は近隣の学校の制服を身に着け、癖毛の短い髪を二つ結びにして背中へ下ろしている。真ん中から左右に分けた前髪と丸みを帯びた目は、夢の中で見た妹の姿によく似ている。
「大分うなされてましたけど、どこか具合悪いのでしたら救急車お呼びしますか?」
「…いや、大丈夫、です」
姿は似ているが、その声も年齢も本人とは全く異なる。喉まで出かかった妹の名をどうにか押し留め、申し出を断った。
しかし蒼鵞の顔色が余程悪かったのか、目の前の少女は心配そうな表情のままほぐれない。
「真央ー?」
バス停を挟んだ向かいの店から、同じ制服を着た別の少女の声がかかる。
「あ、えっと、その、友達が呼んでるんで…。余計なお世話でしたらすみません」
真央と呼ばれた少女は店と蒼鵞を交互に見やり、慌てた様子で足元に置いていた学生鞄を拾うと、向かいの道路へ続く横断歩道を渡って行った。
向かいの道路に建つ雑貨屋の入り口で落ち合った二人の少女はその場で雑談を始める。からかわれているのか、真央は顔を赤らめて何かを言い返している姿が見える。
蒼鵞はその様子を視界から外し、文庫本のページをめくった。
物語の結末を、蒼鵞は知っている。
その日は朝から曇っていた。
木々の間から落ちる影もぼやける程の曇り空の中、幼い蒼鵞は村に続く一本道を走っていた。
「(すっかり遅くなっちゃったし、あいつ絶対怒ってるだろうなあ…)」
頬を膨らませて説教を始めようとする妹の姿が容易に浮かぶ。頭が良く、時間や学校の宿題には厳しい湊だが、彼女が自分からわがままを言う事が滅多にない事を蒼鵞は知っている。
どう言い訳しようかと思考に没頭しているうちに、村の入口にあたる山小屋が見えてきた。
「!!」
山小屋の脇を通り過ぎ、広場へと足を踏み入れたところで蒼鵞は足を止めた。
いつもは聞こえる薪割りの音も、人の話し声も聞こえない。夜の静寂とは異なる不気味な静けさが、当たり前にあった村の空気を異質なものに変えている。
その異常さを視覚に訴えるものは、村の随所に散りばめられていた。
「な、なんだよこれ…」
広場に立つ蒼鵞の目に嫌でも入ってくる、おびただしい量の血と、その海に沈む誰かの腕や足が、人家の窓や門扉の隙間から顔を覗かせる。
自分のいない半日の間で一変した村の姿に、蒼鵞は恐怖と戸惑いを必死に抑えながら、今何をすべきか思考を巡らせた。
「(そ、そうだ、電話しなくちゃ!警察呼んで、あとは…)」
棒のように立ち竦み動かなくなっていた足を奮い立たせ、血痕から目を逸し俯いていた顔を上げた直後。
蒼鵞の正面から鋭く光を反射した刃が体を刻み、その痛みは瞬時に意識を奪い去った。
動かなくなった姿を見て死んだと思い込んだのか、顔を隠した犯人はそれ以上の追撃をする事もなく、その場を去って行った。
燻っていた雲は日が沈んでから雨となって落ちてきた。
秋の乾燥し始めた空気を適度に湿らせ、風のない森の中に潤いをもたらす。
真っ直ぐに落ちてきた雨粒の刺激と冷えた空気が、落ちていた蒼鵞の意識を現実へと引き戻した。
「(生きてる…?)」
仰向けに倒れていた体は降り注ぐ雨を受け、じわじわと体温を失っていく。
暗い空に垂れ込める黒い雨雲から目をそらし、勢いよく上体を起こすと、鎖骨の下を真一文字に切られた両肩が悲鳴を上げ思わず倒れこむ。
傷自体は浅かったのか、血は既に止まって乾いていた。貼り付いた服と血が傷口を引っ張り、開きそうになるのを押さえながら、蒼鵞はもう一度ゆっくりと上体を起こした。
辺りは意識を失う前と変わった様子はなく、痛みと併せて現実である事を否応なしに認識させられる。
「誰か……誰かいないのか!?」
自分でも驚くほど枯れた声で叫びながら、蒼鵞は変わり果てた村の中を歩き出した。
蒼鵞は自宅から持ち出した懐中電灯を手に家を一軒ずつ訪ねたが、全ての家の電話線は切られ、見知った村人はおろか、生きた人間はどこにもいなかった。
「村の人…全員か…」
その事実を驚くほど冷静に悟った自分自身を不気味に思いながら、地面に落ちた懐中電灯の光に目を落とす。
濡れたむき出しの地面に出来た水たまりは光に照らされ、その表面に電球を映し出している。
「……全員?」
ふと、蒼鵞の頭に疑問が湧き上がった。
人口の少ない水神村だが、蒼鵞は村人全員の顔を把握しているわけではない。しかし自分に身近な者くらいは記憶している。
村を一巡した中でその姿を確認していないのは、恐らく自分を切った犯人である龍輝と―
「―湊!」
懐中電灯を落としそうな程に腕を振り、蒼鵞は妹が待っているはずの場所へと走りだした。
立入禁止の札が掛けられたロープを越え、子供には背の高い雑草をかき分けた先に湊はいた。
「湊!おい!」
草むらの中に投げ出された四肢はぴくりとも動かず、身に着けているセーターと亜麻色のスカートは腹部を中心に赤黒く染まっている。下敷きになっている草の間から見える血だまりの跡から、出血多量と同時に生存の可能性が絶望的である事は明白だった。
握っていた懐中電灯を投げ捨て、蒼鵞は動かない妹の傍へ駆け寄る。雑草の鋭い葉が足や頬を切りつけ、細かな傷が増えていくが、変わり果てた湊を目の当たりにした蒼鵞には些細な事ですらない。
「おいったら!起きろよ!」
冷たくなった体を抱き上げ、土で汚れた頬を叩いて呼びかける。
閉じた目は開かず、毎日のように小言を漏らしていた口からは、いくら待っても何の返事も来ることはない。
水分を含み、いつもより重いはずの体は、温もりを失い、不思議なほど軽かった。
「……嘘だろ?」
動かなくなった大人達を見て、その事実を気味が悪くなる程冷静に受け入れていた蒼鵞の目に、ようやく涙が滲む。
視界に映る妹の顔がぼやけ、生温い涙は頬を伝い湊の服へと落ちた。
騒々しいくらい耳に入ってくる雨音は遠のいていったが、雨は止むどころか強くなって二人を打ち付ける。
雨に奪われていく温もりを分け与えるように、蒼鵞は湊の亡骸を抱きしめた。
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