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4 - Recollection (1)
どこにいても思い出してしまう
かつて存在した僕の故郷
表面だけの、僕が最も嫌いだった世界

―「Parallel World」

 「ありがとうございました」
店員から釣銭を受け取り、書店の自動ドアをくぐる。
立秋を過ぎていくらか日差しが和らいできたとはいえ、街の中は森よりもいくらか暑い。屋外の残暑にも屋内の人工的な涼しさにも慣れない龍輝は、基本的に街が苦手だった。
高くなった空を見上げて目を細めると、点在する雲の間に浮かぶ太陽から日没が早くなってきている事を確認できる。森の中で見るそれとは違う空を瞼の裏に残し、龍輝はアスファルトの道を歩き出した。
店舗が建ち並ぶ商店街を抜けた先には公園が存在する。住宅街と商店街の間に位置する公園は、大人から見ればさほど広くないが、子供達にとっては十分な広さがある。広場の隅に設置された遊具で遊ぶ子供達の側で、ベンチに座り世間話をする母親達がいた。
公園の脇を通る道路沿いに置かれた自販機に立ち寄り、適当に缶のお茶を選んで買う。公園内のベンチに座り荷物を隣に置き、空いた手で缶のプルタブを開けて一息つくと、正面に見える広場でドッジボールをする子供達が目に入った。
地面の砂利を足で引いて作った溝を線に見立て、長方形のラインが引かれている。それを割るように引かれている一本の線を基準に、十人に満たない数の子供達が一つのソフトビニール製のボールを投げて遊んでいた。線の内側にいる少年がボールを投げ、反対側にいる少年に当たる。当てた少年はポーズをとって喜び、当てられた少年は悔しそうに線の外側へ出て行ったが、二人の顔は笑っていた。

 幼少期に経験するそれらの意味を、龍輝は知らない。


 村には一つの神社があった。
その境内は竜飼の姓を持つ家系が代々神主として守っている。
竜飼の家系は村の長である入間の家系とつり合う権力を持っていた。
「…今日で何日目になる?」
「四日目だ。よく水だけで生きているもんだ」
「鬼子はあれくらいの事では死なんということか」
「死なれては困る」
「恐らく母親が何かを与えているんだろう。誓約を違えたか」
大人達がひそひそと話し合っている部屋を横目に、幼い蒼鵞は家の扉を開けた。

 竜飼の家は村からいくらか離れた場所にある。
村に続く一本道の途中、中間地点の目印になる倉庫へと立ち寄った。竜飼神社―蒼鵞の家からも村からも見えるそこは、倉庫とは名ばかりの檻と言っても過言ではない。
蒼鵞が教わった事が正しければ、そこは古より罪人を閉じ込めておく牢獄として使われていた。
「(この村に罪人なんて、一人しかいないじゃないか)」
持ち出してきた鍵で錠前を開け、重い引き戸の取っ手を両手で引っ張る。
扉が砂利を磨り潰す音と共に、かび臭い空気が鼻をつく。薄暗い室内に電気はなく、天井付近にある鉄格子から差す日光だけが光源となっている。入り口の引き戸から目に入る格子の向こう、一際影の強い部屋の隅でそれは横たわっていた。
「起きてるか」
地べたに転がり背を向けているそれは幼い龍輝だった。
蒼鵞と同い年程にも関わらず、土で汚れた服と痩せた素足がひどくみすぼらしい。
龍輝はかけられた声に対し億劫そうに上体を起こすと、暗闇によく似た淀んだ目を格子越しに投げかけた。
「…」
空腹で喋る気力もないのか、人が自分の元を訪ねる理由が決まっているからか。格子の向こうに座る龍輝は口を開かない。
初めから返答を期待していない蒼鵞は外を見回してから引き戸を閉めた。
「(確かこの辺りに置かれたはず…)」
龍輝の様子を気に留めず、隅に置かれた踏み台を引きずって天井付近の鉄格子まで持っていく。
倉庫の窓にあたる鉄格子の位置は、村の子供の中でも比較的背の高い蒼鵞が踏み台に乗ってようやく手が届くほど高い。蒼鵞は窓の縁を手で探り、目的の物を掴んだ感触を確認すると踏み台から下りた。
透明なビニール袋に入っているそれはクッキーだった。
「ほら、あったよ」
「!」
蒼鵞はクッキーを袋ごと格子の向こうにいる龍輝の懐へ投げ、返答を待たず踏み台を元の位置へ引きずっていく。
「どうして…」
投げられた袋と蒼鵞を交互に見やりながら、掠れた声で龍輝が問いかけた。
踏み台を元の位置に戻し、引きずった跡を足でもみ消しながら蒼鵞は口を開く。
「お前の母さんが置いていくのを見た」
「母さんが?」
「なんでって聞かれても俺は知らないかんな」
均し終えた地面を確認し、やる事を終えた蒼鵞は作業的な動きで入り口へと戻っていく。
引き戸に手をかけたところで何かを思い出したのか、あ、と声を漏らして龍輝の方へと振り返った。
「それは捨てたって言っとくから。食べるなり捨てるなり自分で決めろよ」
引き戸を開け、じゃ、と言い残して蒼鵞は倉庫を出て行った。閉ざされた戸は鍵がかけられ、倉庫の中は再び薄暗い闇に包まれる。
一人残された龍輝は閉められた引き戸に釘付けになったまま、手にしたクッキーの袋を握り締めていた。

 三日後、龍輝は倉庫から解放された。
「…ただいま」
晩秋の気温に震えながら家のドアを開け、小さな声で帰宅を告げる。
玄関には母の靴が隅に置かれているが、家の奥から母が迎えに来ることはない。龍輝にとって、たった一人の家族であろうと自分が疎まれているのは当たり前の日常だった。
足の裏の土を手で落としてから家に上がり、つま先歩きで風呂場へ向かう。脱衣所に入り、埃と土まみれの服を脱いで脱衣かごの方を見ると、隣に着替えが置かれていた。それは母の気遣いではなく、汚れた服で家の中を歩き回られては困るという意味であると龍輝は解釈している。そしてそれは、実際に母自身の口からも聞いていた。
綺麗にたたまれた服を一瞥してから、脱衣かごに汚れた服を入れ、風呂場の扉を閉めた。

 母―律子は椅子にもたれかかり手紙を読んでいた。
机に置かれた書面には乱雑な文字が並んでいる。その字を一つ一つ拾い上げるように読んでは溜息をつき、窓の外へ目を逸らす。
外では子供達が走り回り、寒さをものともせず元気に遊んでいる。律子はその光景を、羨むような哀しむような眼差しで見つめながら、手紙を持つ手を小さく握り締めた。
「母さん」
背中から声をかけられて振り向くと、小奇麗になった龍輝が部屋の前に立っていた。
用意しておいた服に着替え、物言いたげに口元が動いている姿に、律子は抑えていた感情が瞬間的に膨れ上がるのを知覚する。
「あの」
「来ないでっ!!」
叫ぶ母の声は悲鳴にも似たヒステリックなものだった。
普段物静かな母の叫び声に、龍輝は驚いて身を強張らせる。幼い我が子を、律子は今にも泣き出しそうな顔でしばし見つめて息を整えた。
何か言わなければ。驚かせてごめんなさい、おかえり、と。
「…あんたなんか産むんじゃなかった」
吐いて出た言葉は内心とは全く違うものだった。律子は口に出した言葉が全く違うという事に、龍輝が俯くまで気がつかなかった。
言葉の撤回もなく固まっている母の姿を拒絶と捉えた龍輝は、静かにその場を去っていった。
「あ…」
息子を引き戻すだけの声も言葉も出ず、去っていく足音がたてる床の軋みを聞きながら、律子はひたすら後悔に苛まれる。
今しがた自分が犯した過ちだけではない。
一週間ぶりに会った我が子の姿はひどく痩せていた。
倉庫に閉じ込められている間に与えたクッキーは食べる事ができたのか。そして自分の行為は、飢えをしのぐ以上に龍輝を苦しめさせたのではないか。
村で最低限の立場と権利を保証される代わりに、鬼子へ愛情を持って接してはいけない。龍輝が生まれる前に誓わされた誓約とその重圧で、律子は押しつぶされそうになっていた。
その葛藤を、龍輝は知らない。

 「…そいつはしょうがねえな。お前は悪くない」
励ますように労いの言葉をかけると、柄の悪い男は龍輝の頭をわしわしと撫で回した。
「でも、これじゃ僕何もできない」
「大丈夫だ、そんな時の為に予備を持ってきたからよ」
男は岩に隠しておいた長物を龍輝に持たせた。
子供の力では両手で振り回すのがやっとの程重みのあるそれは布に包まれている。結び目を解いて中身を取り出すと、刃渡りの長い狩猟用ナイフがケースに収められていた。
「いいか坊主。俺が先に行って村のやつらをとっちめてやるから、その間にそいつで仕返ししてやりたい奴をけちょんけちょんにしてやれ。お前の体力じゃ大人にゃ勝てねえから、子供だけだぞ」
龍輝は男の言葉を咀嚼して頷く。
「それからお前の母ちゃんはうんと叱って説教してやらねえとな。どんな格好してんだ?」
「うんと…」
緩い天然パーマのかかった長い髪、長い睫毛、おっとりした印象を抱かせる顔立ち。自分の知る限りの言葉でどうにか説明すると、男は一瞬眉間に皺を寄せてから頷いた。
「よし、そんじゃ行くぜ。坊主は近くの草っ原に隠れてな」
一拍の間を置いて立ち上がると、男は手にしていた日本刀を握りなおして村の方へと歩いて行った。
その一拍の間に見せた表情はどこか険しさが残る。
「(…律子の奴)」
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