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3 - Intention
昔からそうだった
とにかく人が嫌いで
合う度に影に隠れてた
僕にとって十年前の惨劇が―
―「Parallel World」
とにかく人が嫌いで
合う度に影に隠れてた
僕にとって十年前の惨劇が―
―「Parallel World」
夏の森の中は、街よりずっと涼しい。
青々と茂る木の葉は強い日差しを和らげ、自身が作る影はそこを訪れる者に涼しさを与えてくれる。多くの水を蓄える樹皮もまた、触れれば適度な冷たさを齎す。
耳栓をしても突き抜けてくる蝉の大合唱さえ目を瞑れば、龍輝にとって森は通年快適な庭であった。
手頃な木の間にキャンプ用のハンモックを張り、耳栓をしてから文庫本を開く。
龍輝にとって読書は、学習を兼ねた日課だ。辞書を脇に置き、挟んであった栞を取り出して続きを読み始めた。
蝉の声が邪魔ではないと言えば嘘になるが、昼夜を問わず鳴き続け、どこにいても聞こえるのだから慣れっこである。
「(…何だ?)」
ふと、草むらの隙間から茶色い毛玉が視界に入った。
本から目を離してよく見ると、一匹の子猫がうろうろしていた。
生後二ヶ月ぐらいだろうか。龍輝は上体を起こし辺りを見回してみたが、母猫らしき姿は見当たらない。汚れも少なく、つい最近この近くで捨てられただろう事は容易に想像がついた。
ハンモックから降りて近づくと、子猫は尻込みして龍輝を見上げた。怪我をしている様子はなく、警戒心は薄い。そのまま一歩距離を詰めてしばらく猫を見下ろしていたが、威嚇する事もなくその場に座り込んで鳴いている。余程肝が据わっているのか、あるいは警戒心が足りないのか。
全く逃げる様子のない子猫の首根っこをつまんで顔まで持ち上げると、猫は小さく鳴いて無垢な眼差しを向けた。
そのまま放っておいても良いのだが、野犬や猪の餌にでもなったら寝覚めが悪い。
龍輝の考える事など知らぬ顔で、ハチワレの三毛猫は宙に浮いた足をじたばたと動かしていた。
「鬼子にも動物を殺さないだけの良心があるとは」
抑揚の少ない声は蝉の大合唱よりもはっきり聞こえた。
驚いた拍子に、猫の足が龍輝の顔を掴んだ。足がかりを得た子猫はそのまま龍輝の手から逃れようとしがみつく。遥かに弱い生き物を相手に、龍輝は無数の引っかき傷を代償に子猫を引き剥がした。
そのままハンモックへ放り投げると、ひりつく傷に顔をしかめながら声の方を見た。
十数歩離れた先に、龍輝より背が高い男が立っている。
真っ先に目を引き付けたのはその髪の色だった。焦げ茶色に染まっている髪は毛根に近づくにつれ白く色が抜けている。生まれつき白髪なのか、あるいは白髪になってしまう程の出来事が彼にあったのか。
どちらであるかは問うまでもない。
黒い半袖パーカーに濃紺色のジーンズという配色からか、髪の白さが際立つ。半袖の下から見える腕は細く、室内育ちの不健康ささえ感じさせる。
右目の下に残る十字の傷跡と、狐のようにつり上がった二重瞼の目は、思春期の少年の一部が没頭するセンスとクールな印象を持たせる。
「……二人目か」
龍輝を鬼子と呼ぶのは村の人間しかいない。
何も言わず歩み寄ってくる男は静かに、かつ素早く、懐から得物を取り出して構えた。
迷いなく差し向けられたそれの全体像を見るまでもなく、龍輝は草むらに飛び込んだ。
直後、乾いた銃声が短く響き、蝉の声が刹那止み空を飛び回る。
男は細い目を更に細めて舌打ちし、右手に握った銃を構えたまま獲物を探した。
背の高い雑草は地面を覆い隠して視界を妨げる。リボルバーでは無闇矢鱈に撃つ事もできず、龍輝が姿を現すのを待つしかなかった。声を潜めていた蝉達が再び鳴き始め、滲む汗が男のこめかみを伝い落ちていく。
「―そこか!」
近くの草が揺れ、反射的に銃口を向けると同時に何かが飛んできた。それは空間を裁つように一直線に飛び、男の腿を掠めてそのまま木に突き刺さる。発砲の反動と足の痛みでよろけて木にぶつかった。
合唱を始めたばかりの蝉達はどこかへ飛び去り、周囲は再び静まり返る。
木に刺さったそれは小さな投擲ナイフだった。
「中途半端に銃の使い方をかじったくらいで、僕を殺せると本気で思っていたのか?」
ナイフが飛んできた場所から、のそりと龍輝が顔を出した。
「それ以前に、僕を殺そうという意思がない」
行動とは裏腹に、男の眼差しはひどく怯えた様子だ。
震えた手から銃が滑り落ち、その音に、更にビクリと肩を震わせる。
「答えろ。お前に殺意も力もないなら、何故ここに来た」
龍輝の顔とハンモックを交互に見やる男の目線は、時折子猫の様子を気にかけているようにも見える。だが、この状況で自分より子猫を気にする余裕などあるはずがない。
様子がおかしい事に気付いた龍輝が振り向こうとした時、男は慌てて口を開いた。
「俺は―」
目を離した瞬間、何かを白状しかけた声が途切れた。
代わりに飛沫が頬を撫で、龍輝の目を男の方に引き戻す。
「なっ!?」
そこにあったのは、男の首が落ちるまさにその瞬間だった。
頭はやけにゆっくりと空を舞い、赤い花を散らして草むらの海に沈んだ。それを追うように、体がくずおれていく。
ほんの数秒の間に、何が起きたのか。
混乱でしばらく呆然とした後、血痕が龍輝の脇を通り、ハンモックの方へと続いているのに気が付いた。
「(後ろに誰かがいる…?)」
血痕が示す方向へ顔を上げると、疑問の答えはそこに立っていた。
「十年ぶりだな、龍輝」
立っている男もまた、村の生き残りだった。
がっしりした体格は先程の男とは対照的である。
眼帯で隠しきれない右目の傷跡は痛々しく、濃い氷灰色の目からは、目的を必ず成し遂げるという絶対の意志を感じられた。
その姿は、記憶の中の少年とは程遠い。
しかし、龍輝は彼が誰なのかすぐに分かった。
「……蒼鵞」
ソウガ。
村で最も強い権力を持っていた家の息子。
それは龍輝にとって、最も憎い存在だった。
「お前は僕が殺したはずだ!」
真っ直ぐに投げたナイフは蒼鵞に届かず、見えない何かで弾かれると共に空中からその姿を消す。
叩き落されたと分かったのは、蒼鵞が草むらに手を伸ばしてからだった。。
「殺したと思い込んでいただけだろう。事実、俺はこうして生きている」
目の前にいて会話をしているのだから反論の余地もない。やり場のない怒りと恐怖を、龍輝は睨みつける事で外に逃がす。
「…何故殺した」
彼の十年前の生死を言い合うだけ無意味である。思考を一巡し、仲間であるはずの男の首を刎ねた事に話題を切り替える。
蒼鵞は瞬きを挟んで視線を落とした後、隣に咲く赤い花をちらりと見て、淡々と答えた。
「立樹はお前を殺す意思がなかった。復讐にそんな腑抜けはいらない」
「だったら最初からこいつ抜きで復讐すればいいだろう」
「生き残りである以上、これは義務だ。鬼子のお前には分かるまい」
「勝手に僕を鬼子にしたのはお前達だろう!?」
固く握った拳で木を殴り、龍輝は堪えていた怒りを顕にする。
故郷がなくなろうと、何一つ変わっていない。権力を持つ家の意向は絶対で、逆らえば村八分にされる。
立樹もその犠牲者であり、村八分より残酷な選択をさせられた。龍輝とは事情が異なる上、同情もしていないが、今もなお権力という暴力を振りかざす蒼鵞への、怒りの起爆剤となるには十分だ。
その憤怒も意に介さず、蒼鵞は呆れたように溜息をついて言葉を返した。
「だが、それを受け入れたのはお前自身だ」
生まれ持った運命を、宿命だと諦めたのが悪いとでも言うように。
龍輝が狩猟ナイフを抜くのと、その首に細い糸のようなものが巻きついたのは、ほぼ同時だった。
糸の存在に気付いた龍輝は動きを止め、それ以上動けば立樹の二の舞になると直感で理解する。糸はただ巻き付いているだけなのに、紙の端で切ったかのような鋭い傷を作っていく。
自分の体から正面に視線を戻すと、蒼鵞は龍輝を捉えたまま、壁のように静かに立っていた。
相手は微動だにしていないのに、自分は危機に晒されている。圧倒的な力の差を感じた龍輝の全身から、緊張の汗が滲んだ。
「この場で殺したりはしない。まだお前にはやってもらう事がある」
龍輝の敗北を確認した蒼鵞の手が、ほんの少し動いた。
それに従うように糸は首から離れ、音もなく主人の元に帰っていく。糸の末端には形の整った水晶が結び付けられていて、袖の中に潜り込むと、カチリと音を立てて収まった。
蒼鵞が糸を繰っている。そう理解するのに、あまり時間はかからなかった。
「まさか、その力は」
萌葱と同じ超能力を、この男は持っている。
それ自体驚きだが、彼女とは段違いの精度に愕然とした。
袖から覗くアクセサリは、よく見ると腕時計を改造した武器である。より力を理解し、復讐を成し遂げる為に作られた殺意の具現。
龍輝の問いに答える気のない蒼鵞は、叩き落とした投擲ナイフを無関心に拾い上げた。
「……俺には俺の意図がある。次に会う事があれば教えてやる」
眺めていたナイフを構えると、十分な間を置いて勢いよく投げた。
今から投げますよと言わんばかりのあからさまな投擲を躱し、次の攻撃を警戒したが気配はない。
龍輝はゆっくり立ち上がって辺りを見回したが、そこに蒼鵞の姿はどこにもなかった。
「お、おかえり。どうだった?」
「立樹もやられた」
「マジで!?」
「なになに、どしたん?」
「あ、おいやべえよ舞乃。立樹もやられたって」
「うそ!それじゃあ後あたしたちだけやん!」
「やっぱり立樹じゃ駄目だったんだよ。やる気ない奴はあいつの餌食になるだけだ」
「…」
「蒼鵞兄は監視に行ったんよね?あいつを殺さなかったん?」
「逃げられた。森の中は龍輝にとって、どこでも庭と変わらないみたいだな」
「結局地の利かい…」
「じゃあさじゃあさ、次は街までおびき寄せて」
「舞乃うるさい、寝ろ」
「う……。はあい」
「浩一」
「あいよ」
「奴には逃げられたが大体手口や動きの特徴は把握できた。後で詰めよう」
「…あれ?昨日拾った猫どこ行っちゃったんやろ」
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