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14 - Underground (2)
さて、これで話は終わり
さようなら―
さようならは、お前の方が先だったな
―「Parallel World」
さようなら―
さようならは、お前の方が先だったな
―「Parallel World」
常夜灯が照らす長い廊下の先に現場はあった。
壁を突き破り横断している土砂は天井まで届き、奥への進路は完全に絶たれてしまっている。
辺りにたちこめる土と雨の臭いも酷く、いつ二次災害が起きてもおかしくはない状況だった。
「これは…」
目の前の山を見上げて息を飲む。
隙間から染みこんできた雨水が流れ、じわじわと廊下を浸食してきている。龍輝自身の体調を考えると、これ以上の捜索は諦める他ないようだ。
戻ろうと車椅子を引いた時、かすかに聞こえた音を龍輝は逃さなかった。
耳を澄ますと、どんどんと叩く音が土砂で半分以上埋まった扉の方から聞こえる。
「おい、そこにいるのか?」
「…あなた達、まだここにいたの…?」
扉を叩く音が止み、美龍の驚いた声が返ってきた。
「いるのは僕だけだ。それより土砂を」
「土砂?外はどうなってるの?」
「陥没で扉が埋まっている」
「…閉じ込められたってわけね」
美龍は深いため息をついた後、扉にもたれてずるずると座り込んだ。
「ここは病院の地下なんだろう?ならすぐに人が来るはずじゃ」
「来るわけがないわ。病院から繋がっているけど、ここは施設の外よ。真上は人気のない山の中で電波も届かない」
院内の薬剤庫にいるという平山の読みはどうやら完全に外れていたようだ。
山と言えば病室の窓から見えたのを思い出すが、もしその真下だというならこの廊下の長さにも納得がいくし、美龍個人の実験室なら、平山を含め誰一人知らなかったのも納得がいく。
「…助けを呼ぼうとはしないのね」
「不都合の方が多いからな」
「そうでしょうね」
そもそも、美龍を仕留めにやってきた龍輝に助けを呼ぶという考えはなかった。
かといって重傷の身体一つで何か出来るわけでもなく、人を呼んでしまえば自分の目的が果たせない可能性の方が遥かに高い。結果、どちらかが力尽きるまでそこに立ち、監視するという持久戦に持ち込む選択を取った。
美龍もまたそれを理解している。
「…人の命を弄んだ報い、とでもいうのかしらね」
上を向いても下を見ても、今自分がどこを見て、触れているものが何かも分からない。人が視覚にどれほど頼って生きているのか、見えなくなって初めて痛感する。
一切の明かりが断たれ、距離感さえあやふやになる暗闇の中で美龍は一人こぼした。
「遊びに夢中になりすぎたお前の驕りだ」
「あなたが説教するなんて滑稽ね」
淡々と返ってきた言葉に不思議と笑いたくなってくる。
彼は待っているのだ。憎む相手がここで力尽きる事を。それまで美龍が絶望に狂おうが笑っていようが、龍輝には関心がない。
例え自分の死を待つ死神であっても、そこに会話する相手がいるということに安心してしまう程には気が触れていたのかもしれない。
「そうね…確かに、驕っていたかもしれないわ」
外の死神は何も答えない。
代わりに、転がり落ちてきた小石があざ笑うように扉を小突いた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
尾を引いていた眠気も覚め、元々夜目がきくからか、薄暗さも気にならなくなった。外の雨も止み、一切の雑音がなくなった廊下で聞こえてくるのは衣擦れの音くらいだ。
一方で、身体はひどく冷たくなってきていた。陥没した土砂で空調は止まり、隙間から入る外気の寒さが徐々に身体に凍みてくる。
「…誰か来る」
そんな静謐に終わりを告げるように、遠くから靴音が聞こえてきた。
あまりに静かだったせいか、発した自分の声さえうるさく感じて思わず息を潜める。
その煩わしさは扉の向こうでも同じだったのか、かすかに衣擦れの音が聞こえただけで返事はない。
龍輝は意識して耳をすませてみたが、少しずつ近づいてくる靴音の主がどれくらい遠くにいるのか、あるいは近くにいるのか、静寂と寒さに慣れきっていた耳では距離を掴むことができない。
かじかむ手で車輪をまわし、こちらに向かってくる誰かを待った。
歩調に合わせて上下する懐中電灯の明かりが重なり、次いで明かりの持ち主が龍輝の視界に入る。
「…なんてことだ」
寒さで白くなっている龍輝と、陥没した土砂を見上げ、懐中電灯を手にした平山は愕然とした様子で立ち止まった。
「青井君、一体どうなってるんだい」
「見ての通りだ」
「見ての通りって…」
静かに答えた龍輝に明かりを当て、そのあまりの青白さに平山は思わず顔をしかめた。
「とにかくこれを着て。美龍は…?」
平山は着ていた白衣を龍輝に羽織らせた後、龍輝が指し示した方に目をやる。
土砂に埋もれた扉を見て、焦燥した顔が絶望に変わっていくのがわかった。
「…無事なのかい?」
「一応はね」
返事があったことにひとまず安堵する。
しかしそれだけであって、平山一人で美龍を閉じ込められた部屋から助けるのは到底不可能だ。
ポケットから携帯電話を取り出しても、電波強度は圏外を示している。応援を呼ぶには一度病院側に戻る他ない。
「美龍。一度病院に戻って救助を呼びます。それまでなんとか持ちこたえられそうですか」
「ちょっと待て、あいつを助けるのか?」
平山の案に龍輝が噛みついた。
「…なるべく早くお願いするわ」
「分かりました」
龍輝の反対を無視し、平山は車椅子のハンドルを握る。
それに抵抗しようとハンドリムを掴みその場に留まろうとしたが、手がかじかんで力が入らず、むなしく滑るだけだった。
「平山、答えろ!何故助ける!?」
平山はなおも吼える龍輝の問いにすぐには答えず、口元に指を添え、「静かに」の合図を見せた。
努めて冷静な態度をとる様子を見て、美龍に聞かれてはまずい理由があるのだろうかという考えが頭をよぎる。
決して納得したわけではないが、しばらく睨んだあとそっぽを向いてハンドリムを離した。
「意外だね」
その行動に一瞬拍子抜けした顔をした平山は、小声でそう言ってから車椅子を押し始めた。
床に散った土もなくなり、小綺麗なところまで遠ざかった辺りで平山から口を開いた。
「ここまで戻れば大丈夫そうかな」
ほっと息を吐いて歩みを緩め、院内で歩くのと同じ早さまで落とす。
災害現場からは大分離れたはずなのに、どこまでも続く非常灯の列に終わりはまだ見えない。
「本当、君は無茶をするね。まさかとは思ったけどここに戻ってきた上、危ない場所でそんなに冷たくなるまで待ってるなんて」
安堵感からつい出た言葉が、龍輝には煩わしい説教に聞こえたようだ。
そっぽを向いたままついた深いため息に不機嫌さが窺えた。
「…本当に助けを呼ぶ気か」
恨めしそうに尋ねる龍輝の声は、今にも噛み付きそうな凄みがある。
「呼ぶよ。一応はね」
「一応は?」
含みのある言い方をしたことで棘が和らいだようだ。
平山は鼻をすすり、一拍の間を置いてから理由を話し始めた。
「君は納得できないかもしれないけど、こういうのは助けを呼ぶのが道理なんだ」
ただね、と一言添えた後に続く声は残念そうだったが、心から残念に思っているとは思えなかった。
「救助までには時間がかかるし、その時に彼女が生きている確証も保証もない」
それが恐ろしく聞こえたのは、見てもいない美龍の未来を断言したからなのか、それとも平山が人体を知り尽くす医者という存在だからなのか。
あまりに淡々とした答え方に、龍輝は初めて平山の怖さを知った。
「何故そうだと言い切れるんだ?」
「絶対とは言い切れないけれどね」
あらかじめ保険の一言を入れた上で、断言した根拠を挙げ始めた。
「今外は氷点下だ。そんな中長時間薄着でいれば、誰だって凍死の危険は免れない。雨も降っているし、土砂が更に崩れる可能性だってある。全ては可能性でしかないけれど、既に時間が経っている以上、いつ起きてもおかしくはないんだよ」
根拠を挙げる平山の声はどこか自棄的だった。
龍輝以上に人の生き死にを見てきた平山には、そうした命の危機と推測が人より鮮明に見えるのかもしれない。
「少しは納得してもらえたかな」
「……本当に少しだけな」
それでも、彼女が死ぬ瞬間をこの目で確かめたいという願いはあった。
恐らく。否、誰であっても、口にしたところで引き返してはくれないだろう。
拳を握って落胆の気持ちを押さえ、俯く龍輝を、ぼんやり見え始めたエレベーターのランプが心もとなく迎えにやって来た。
二人が去ってからどれくらい経っただろうか。
実際は何分と経っていないのだが、暗闇の中では時間感覚すら分からなくなってくる。
部屋には腐った土と雨水の臭いが充満し、染みこんできた水で芯まで冷え切った四肢はもはや痛覚さえ麻痺して言うことをきかない。
手探りで見つけた椅子に座り救助を待っていても、このままでは救助が来る前に凍死してしまう。
壁づたいに歩き、何か暖が取れるものはないかと部屋の中を探索し始めたのがまずかった。
「あっ…」
薬品棚に触れ、力加減が出来ずに触ったために瓶がいくつか落ちて盛大に割れてしまった。
ほとんどが劇物であるそれらは、混ざると危険なものも少なくない。触れなければ無事なものならまだ良い方でも、発火や有毒ガスが発生するものの組み合わせであれば逃げ場はない。
美龍はあわてて後ずさりし距離を取ろうとしたが、雨水で足を滑らせ仰向けに転んだ。
見えない天井を仰ぎ、頭を打った衝撃で意識が飛ぶ。その間に床に散った液状の薬品と水は混ざり、足元から徐々に服へと染みこんできた。
染みこんだ薬品は皮膚を爛れさせ、溶かし、異臭を放つ汚物へと変える。ゆっくりだが、しかし確実に命を削っていく。
結局意識は戻らないまま、美龍は薬品の海にのまれていった。
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