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10 - Lore
それが思い込みだとさっき言っただろう。
もしその理解者がいたとしたら
周りに嘘をつき続けるような
こんな奴じゃないんだ…。

―「Parallel World」

 一人暮らしには広すぎる部屋を見渡し、今までを振り返る。

 最初は憎んでいたはずだった。
 妹を殺され、右目を奪われ、日常の全てが一変した元凶として。
 しかしその憎悪はどこか、自分に言い聞かせているような違和感があった。
 龍輝が生きていたという事実を耳にするまで。

 湊は龍輝に殺された。その事実は紛うことなく憎むに値する。
 だが彼を迫害し殺人鬼になるまで追い詰めたのは自分達だ。決して一方的に責める事はできない。
 因習を変えられる家に生まれながら、何もできなかったという無力さが憎悪を凌駕する。
 その絶望に耐え切れず自ら右目を潰したことも忘れていた蒼鵞は、一度は賛同した復讐の計画から掌を返す。
 鬼子への復讐を盲信する彼らを葬る事が、たった一つの贖罪の方法だと信じて。

 立冬を過ぎた早朝はまだ暗く、日の昇らない明け方の空が居間の輪郭を映す。
 小物はあるべき場所に片付けられ、ダイニングテーブルの上に置かれたガラスの花瓶が、夜明けの光を集めて反射している。

 「(おはよう)」
 萌葱が朝食の皿を両手に持ち、テーブルの上に並べている。
 「(早番か)」
 滅多に喋らない立樹はソファに座り、新聞を開く。
 「(今日は時間あるんだろ?たまには飯食ってけよ)」
 洗った髪を拭きながら浩一が横を通り抜ける。
 「(見て見て!あれ蒼鵞兄に似合いそう!)」
 キッチンに立つ舞乃がテレビの画面を指さす。

 当たり前のように繰り返された朝の光景が浮かび上がっては消えていく。
 間接的に、あるいは直接その命を奪ったという意識はあっても、罪悪感は限りなく無に等しい。
 人の温もりが消えた空間に背を向け、蒼鵞は一人、別れを告げた。

 村の外れに張られた立ち入り禁止区域の先には洞窟がある。
 入り口を注連縄で塞がれたその場所は、村では鈴鳴洞窟と呼ばれ鬼の通る道と言われてきた。その昔、立ち入った者が鬼に食われた、洞窟の奥から鈴の音が聞こえたら不幸が訪れるなど、様々な噂が絶えないいわくつきである。
 周辺が立入禁止になって長い年月が経った現在も、噂は一人歩きを続け、村や周辺に住む人々からは畏怖の対象として扱われて誰も近づこうとはしなかった。
 因習に定められた、鬼子と呼ばれた子供達を除いて。

 立入禁止の札を飛び越え、龍輝は草むらの中に足を踏み入れた。
 人の手入れなど一切なく、一度方角を見失えばすぐにでも遭難してしまいそうな獣道を、歩き慣れた庭同然の足取りで進む。
 時折上を見ると、葉の落ちた木々の隙間から雲ひとつない青空が顔を覗かせる。それを縫うように一羽の鷲が悠々と翼を広げて龍輝を先導していた。
 龍輝が立ち止まれば鷲も近くの木にとまり、方角に迷うと旋回して次の方向を指し示す。飼い慣らしたわけでもないのに道を教えてくれるその鷲はいつも、鈴鳴洞窟へ向かおうとするとどこからか飛んできて龍輝を誘導し、帰ろうとすると村までの道を示してくれた。
 「(…あいつらはあの鷲を知ってたのか)」
 洞窟の入口まで案内し、巣に帰る鷲を見送りながら、龍輝は手にしていた小さいメモをポケットにしまう。
 怪我が完治し森に帰ってきた時、出迎えてくれた猫の首輪に結び付けられていたそれは蒼鵞からの手紙だった。
 『鈴鳴洞窟へ』とだけ書かれた切れ端に従う義務や理由はない。ただ蒼鵞を仕留めなければならない『いつか』が今である、それだけの理由が龍輝の足を動かした。
 「(これで最後だ)」
 光を飲み込むように口を開けている入り口から目をそらし、何もないはずの草むらを見やる。
 草木は十一年前の惨劇など知らぬという顔で生い茂り、そこで息絶えた少女の痕跡さえ飲み込み自分達の糧にしている。
 森が見せる幻を瞬きでかき消し、龍輝は懐中電灯を手に洞窟へと歩みを進めていった。

 誰も近づかない洞窟は鬼子にとって庭である。
 あちこちに置かれたろうそくに火を灯しながら、歩き慣れた道を辿って行く。龍輝が最初に洞窟を発見した時から既にあったそれはとても古く、いくつかは岩に癒着して天然のろうそく台になっていた。
 昔の来訪者が残した道に従い奥へ進むと、先を照らしても何も見えないほど広い空間に出た。懐中電灯の光を地面に這わせて近くの岩を探し、その上に置かれたろうそく台に火を灯す作業を繰り返す。
 円を描くように設置された全てのろうそくに火を灯した後、龍輝は辺りを見渡し全体を視界におさめる。
 不気味に浮かび上がったその場所は、ひょうたんの形をした大広間だった。
 龍輝が明るくした位置は大広間の半分にすぎず、間仕切りのように盛り上がった岩を挟んでもう一部屋ある。
 明かりが届かない程高い天井から垂れ下がってきた天然の鍾乳石は、間仕切りの岩と繋がり一本の柱となっている。
 誰が積んだものか、そこここに積まれた平たい小石が常世の境を連想させた。
 「(ここにもいないか)」
 暗がりや死角を見て回った後、まだ足を踏み入れていない隣の広間に目を向ける。
 鍾乳石の柱の横を通り抜けた時、背後で微かに聞こえた砂利の音を龍輝は見逃さなかった。
 「(一体どこに隠れて―)」
 入り口からそれなりに距離がある広間は、龍輝自身がたてたもの以外に音はない。
 咄嗟に振り返り電灯をかざすと同時に、腰の狩猟ナイフに手をかけた。
 懐中電灯とろうそくの光を頼りに辺りをもう一度見渡すが、焦燥に駆られた目で音の正体を探るのは難しい。
 視覚に頼ることを早々に捨て、耳をすましてみると、徐々に近づいてくる足音は歩いてきた通路の方から聞こえてくる。
 距離があると知りわずかな余裕を得られたが、もしろうそくの明かりを頼りに歩いているのなら、遭遇は時間の問題である。
 龍輝は間仕切りの岩に身を隠して電灯を切り、息を殺し様子を窺うことにした。

 身を隠すのと入れ替わる形で、足音の主が広間にやってきた。
 一度立ち止まり懐中電灯を巡らせた後、辺りを探り始めたのか、静かに歩く音が耳に届く。
 「(…なんだ?)」
 歩く音とは別に、何かが岩を小突く音が不規則に聞こえてくる。
 それはおおよその位置を把握できる足音とは違い、遠くで聞こえる事があればすぐ近くで聞こえる事もある。
 まるで広間全体を楽器に見立て、鋭利な刃物で不協和音を奏でるように。
 奇妙な音は地面を小突き、鍾乳石を小突き、背後の岩を小突き、龍輝の狩猟ナイフを小突いたところで演奏を止めた。
 「そこか」
 探索していた足音が止まり、突き刺さる声に思わず身を震わせる。
 重く鋭いその声と高圧的な気配は、夏に再会した男のそれと一致している。
 見つけられたわけでもないのにはっきりと声を投げる事ができたということは、不協和音を立てていたのは声の主に間違いない。
 それが自分をここに呼び出した本人―蒼鵞だと確信した龍輝は首をひねり、隣の広間から伸びた男の影に視線を落とした。
 「用件は二つ。ひとつはお前を殺すこと」
 審判の判決を下すように告げる言葉は厳かで、しかし淡々としている。
 反論を許さぬ物言いに、知らず手にかけていたナイフを強く握りしめた。
 その手に汗がじわりと滲む。
 「もうひとつは、お前に聞きたい事がある」
 「聞きたい事?」
 自然に返事をしていた事に気付き、龍輝は影から目をそらした。
 一方で蒼鵞も反応が返ってくると思っていなかったのか、小さく咳払いをして間を繋ぐ。
 蒼鵞は何でも知っているように思っていたが、その彼が知らない事を自分が知っているというのだろうか。
 「湊のことだ。あの日、あいつはお前に何を話した」
 心なしか早口で出された問いの答えは、確かに蒼鵞が知る事のできない内容だった。
 意地悪く答えないという選択肢もなくはない。
 だが、それを選べば質問の答えを吐くまで拷問を受けるという生き地獄を味わう結果になるのは目に見えている。
 黙秘する考えを早々に捨て、十一年前の記憶を漁る事にした。

 湊が語った内容に嘘はない。
 鬼子というだけで差別されていた龍輝を憐れんでいた事、鬼子の因習を変えたいと言っていた事。
 それに賛同したのは兄だけであった事。
 褪せる事のない後悔に埋没しそうになりながらも、記憶の引き出しから取り出した湊の言葉を一つ一つ反芻する。
 蒼鵞は動揺する様子もなく、ひたすら黙って龍輝の話に耳を傾けていた。
 「…それでお前はずっと後悔していたのか」
 「後悔?」
 「今自分で言ったことをもう忘れるとは鳥頭だな」
 湊が話した事だけを反芻していたつもりだったが、気付かないうちに余計な事まで吐露していたらしい。
 鳥頭の意味は龍輝には分からなかったが、おおよそどういう意味で言われたのかは想像がつく。
 「…そうだ。後にも先にも、後悔したのはお前の妹を刺した時だけだ」
 言ってしまったのでは仕方がないと、龍輝は後悔を認めた。
 視界の隅で蒼鵞の影が小さく動き、腕を組んで考えるポーズをとっているのが見える。
 お得意の長考タイムかと溜息をついて影を視界から外すと、懐の近くで何かが小さく光った。
 鋭利に磨かれた水晶は宙に浮き、意思を持っているかのように自在に動いている。
 末端に糸が繋がっているそれは、夏に見た蒼鵞の得物と一致する。
 水晶は龍輝の前を所在なさそうに右往左往した後、肩の上を通って背後の主の元へ帰っていった。
 「龍輝。ここが何の場所か知ってるか」
 深い溜息をつき、黙りこんでいた蒼鵞がもう一度問いかけてきた。
 鈴鳴洞窟は外の森と同様、龍輝にとって庭の一部にすぎない。広間に続く道となるろうそくも、昔訪れた誰かが残したものの一つという程度の認識で深く考えたことはない。
 「いわくつきで村の奴らは誰も近付かない場所というくらいは知っている」
 「正解だ。が」
 蒼鵞はややためらった様子で間を置いた後、言葉を続けた。
 「ここは竜飼の当主が十三歳になった鬼子を生贄に捧げる儀式を行う場所でもある」
 「!?」
 初めて耳にするもう一つの因習に、思わず岩陰から顔を出して蒼鵞を見る。
 「竜飼の次代当主に口伝えで継がれる因習だ。湊も知らない」
 円形に並べられたろうそくの中央で、蒼鵞は棒立ちでうなだれていた。
 その表情は耳まで覆ったマフラーと横髪に隠れて見ることはできない。
 見つめているであろう視線の先には、重力に逆らい宙で静止する水晶が鋭く輝いていた。
 「…俺は義務を果たさなければならない」
 厳かに告げた声は重く、黒い。
 うなだれていた横顔が緩やかに動き、髪の隙間から氷灰の目が龍輝を捉える。
 ろうそくの光に照らされた残り右半分の顔に眼帯はなく、額から縦一文字に刻まれた傷跡と、何も映さない義眼が醜くむき出しになっていた。
 「蒼鵞、その顔は―」
 後ずさる龍輝の鼻の先に、音もなく水晶の刃が突きつけられ尻もちをつく。
 「話は終わりだ」
 肩から垂らしたマフラーの端を揺らし、蒼鵞は追い詰めた獲物を確かめるような足取りで近づくと、数歩の距離を置いて龍輝を見下ろした。

 「選べ龍輝。因習に従い鬼子の役目を果たすか、俺を殺して鬼神となり生き延びるか」
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