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Gensou-roku Novels Archive log : Copyright(C) 2010-2022 Yio Kamiya., All rights reserved. 無断転載/改変禁止

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1 - Again
僕はもう必要ない。
そう思い知らされたあの日、僕は全てを憎み、全てを捨てた。

―「Parallel World」
「ねえ、本当にこんなところに人がいるの?」
 「いるに決まってる。見た奴がいるんだから」
 歩くにつれ遠ざかる高速道路の音に、少女は不安を募らせていた。それとは対照的に、草むらをかき分け前に進んでいく少年の瞳は好奇心に溢れている。
 山道から外れたこの樹海には昔、小さな村があった。十年前に起きた事件で廃村になり、地図からその名前を消されている。
 「でも何年も前になくなった村でしょ?村がなくなった理由って確か…」
 「村の人が全員殺された事件だろ?」
 「もし村の人達を殺した犯人の幽霊とかいたら…」
 「いるわけないじゃん、幽霊とか。深く考えすぎだって」
 根拠もなく自信満々に否定した少年は、怯える少女の手を引っ張り前へと進んでいく。
 二人はろくに準備もせずやってきたのか、山道を歩くには向かない格好をしている。一歩進む度に上着の装飾や鞄につけられたキーホルダーが枝に引っかかり、歩行を妨げる。気付かず千切れたのか、いくつかはキーホルダーの金具部分だけが鞄に残されてカチカチと音を立てている。

 村の名は、水神村。
 十年前、音信不通を心配してやって来た隣村の住人が見たものは、地獄絵図そのものだった。
 誰もが目を覆うの凄惨さに、当時では異例の厳しい報道規制が布かれた。
 死亡者は村人全員と、男が一人。
 おびただしい量の返り血と手にしていた日本刀から、村人ではないその男による犯行であったと断定されている。
 村の衰退状況も相まって、水神村は廃村となり地図からその名前を抹消された。

 月日が流れ、事件の記憶が忘れられ始めた頃、周辺の村から不吉な噂が流れるようになった。
 噂の内容は様々あるが、その基本はいたって単純だった。

 「水神村に怨霊がいて、近付く者は祟られる」

 草をかき分け奥へ奥へと進み、少年は一棟の廃屋を見つけた。
 「やった!見てみろよ、これきっと村の家だ」
 紅葉に紛れて建つ木造の平屋は、十年よりもっと昔の建築様式と推測される。いたるところで腐敗が進み、場所によっては踏み抜いてしまいそうな脆さがあった。
 少年は嬉しそうに廃屋に駆け寄り、扉の外れた玄関から中を覗き込んだ。
 入って目の前には骨組みが剥き出しになった土壁。所々に動物の足跡が残っている板張りの床は土と埃が積もり、少し風が吹いただけで玄関中が白くなりそうである。靴を脱ぐ場所の隙間には雑草がところどころに生え、隅は蜘蛛の巣が土や埃にまみれていた。正面には色褪せてカビの生えた玄関マット、左手には扉が開きっぱなしの靴箱と電話台に置かれた黒電話があり、右手の壁に沿って奥へ続く廊下がある。
 「すげえな、生活感が全部残ってる」
 「もう帰ろうよ。何か出てきたらどうするの?」
 「だから何もいないって。心配性だなあ」
 ほら、とはしゃぐ少年に手を引っ張られて玄関の中に立たされた少女は部屋の奥に目がいった。
 奥に見える廊下の途中には、事件の残酷さを物語る血の跡がいたるところについている。確かにそこで人が殺されたのだと想像してしまった少女は、恐怖を振りはらうように少年の背後へと逃げ隠れた。
 「何だよ、こんなのどうってことないから大丈夫だって」
 少年は少女を宥めるつもりで声をかけたが、少女は隠れたまま前へ出てこようとしない。
 「違うの…。そうじゃなくて、奥…」
 「奥?」
 怯えきった少女の警告で少年が廊下の奥に目を凝らすと、二人の立つ入り口から続いている廊下の先、勝手口の壁に寄りかかるようにして一人の男が立っているのが見えた。フードを目深に被り、更に包帯で顔を隠しているその姿は、明らかに異質な雰囲気をまとっている。
 「なんだあの人…顔なんか隠して」
 「は、早く戻ろうよ」
 「そうだな、戻ろう。あの人何かおかしい」
 不審な人物から遠ざかろうと踵を返し、二人は帰ろうとした。
 引き返すタイミングがもう少し早かったなら、無事に帰ることができたかもしれない。
 小さく風を切る音が囁くように響き、続いて聴こえたのはあまりに不穏な音だった。
 少年が掴んでいた少女の手から力が抜け、ごつりと鈍く不快な音を残して塵と埃だらけの床に沈んだ。
 「え…?」
 振り返ると、うつ伏せに倒れた少女の背中に、一本のナイフが墓標のように突き刺さっていた。
 「う、うわああああ!!」
 たった数秒の油断が招いたその光景に、少年はただただ恐怖するしかなかった。

 倒れた少女から目を離せない少年の耳に、床の軋む音が届いた。反射的に顔を上げると、先程の顔を隠した男が目の前まで歩いて来ている。
 彼が少女を殺した。直感が訴える恐怖に、少年は転びそうになりながら廃屋を飛び出した。家の前には村の中心に位置する老木が立っているだけで、隠れられるような場所はない。藁にも縋る思いで木の方へ駆け寄ると、何かが少年の頬を掠り木に突き刺さった。
 「ひっ……!」
 木に刺さったナイフは投擲の衝動で小刻みに震えている。逃げ場はない、という警告に、絶望の色が滲む。
 廃屋の方を振り向くと、男は一冊の文庫本を手に、何もなかったかのように少年の前まで近づいて来ていた。
 「あんた……一体誰なんだ!?」
 自分でも情けないと思えるほど震えた声で問いかけた。だが男は答えず、少年の手が届かない距離で立ち止まった。
 「戯言はそれで終わりか?」
 抑揚が少ないその声は、落ち着いているというより冷酷な印象を受ける。
 音の振動が物理的な温度を持っているはずがないのに、その声が氷のような冷たさで少年の頬を撫でていく。
 「こんなところで、死んでたまるかよ!」
 木に刺さったナイフを力づくで抜き、その勢いで男に投げ返した。しかし少年の精一杯の抵抗も虚しく、男が手にしていた本でナイフを受け止められてしまった。
 「……嘘だろ!?」
 絵に描いたような防御に、少年は目を見開いた。
 男は本を投げ捨てると、上体を沈ませ、懐から引き抜いた狩猟ナイフを少年目がけて薙いだ。
 あまりに早い動作に避ける事も出来ず、少年は最初、ただ突き飛ばされただけと錯覚した。その安堵もほんの一瞬で、次の瞬間には赤い絶望が腹に広がっていた。
 襲いかかる激痛に、少年は地面を転がり悶える。
 「所詮、身の程も弁えず、好奇心で死にに来た下衆か」
 顔を隠すぼろぼろの包帯の隙間からはみ出している細い髪は、日光の加減によって焦げ茶色に見える。
 男はずり落ちたフードを被り直し、少年を一瞥した。
 「へ、平気で人を殺せるお前の方が最低じゃないかよ!」
 吐き捨てられた男の言葉に、少年はカッとなって叫んだ。思わず出てしまったとはいえ、自分の声が腹に響いて余計に苦しくなる。
 直後、痛みで縮こまる少年の背筋が凍った。
 「土産に教えてやる。そうやって喚く奴ほどどういう類の人間なのか」
 少年の一言が琴線に触れたのか、表情が見えなくても伝わる程の、黒く鋭い怒りが男の目に宿る。
 「な、なんだよ…」
 なおも少年は虚勢を張ろうとするが、目だけで射殺されそうな恐怖に顔を上げる事が出来ない。
 顔を横に向け、完全に視界から外しているはずなのに、澱んだ瞳が脳裏に焼き付いて突き刺さる。
 「…そうやってわめく奴ほど、より下衆で最低な生物だって事だ」
 この男の怒りを買ってしまった。少年は初めて、自分の行動を後悔した。


 踵を返し、深い森の奥へ立ち去ろうとした刹那。
 枝の折れる音を男は聞き逃さなかった。
 反射的に廃屋の壁に身を隠し、息を殺して音のする方へと耳を澄ませる。
 聞こえる足音は一つ。何も気付いていないのか、広場の方へ真っ直ぐ歩いてくる。
 「…誰かいるの?」
 どこで勘付かれたか、不安そうな女の声が森に響く。勿論、男は返事をしない。誰もいないと思ったのか、しばらくして女は再び歩き始めた。
 広場に出れば嫌でも死体が目に入る。それに驚き、立ち止まった瞬間を狙う。
 男は見つからないように、ギリギリのところまで身を乗り出して様子を窺った。
 あと三歩、二歩、一歩。
 「ひっ……!」
 小さな悲鳴と同時に足音が止まった。
 ナイフを握り、弾かれたように広場へ躍り出る。
 はずだった。
 
 男は一歩踏み出したところで足を止めた。
 女は確かに死体を見て戦慄していた。しかし、立っていた場所があまりに近すぎる。
 踏み出した勢いを殺しきれなかった男はそのまま女にぶつかり、尻餅をついた女に距離を取られてしまった。
 やってきた女の歳は二十代半ばだろうか。黒い髪は茶色というより銀色の色彩で日の光を反射している。癖のあるセミロングの髪は上半分だけ束ねられ、男よりも幾分明るい焦げ茶色の目が男を捉える。ベージュのハイネックの長袖に濃い灰色のパーカをはおり、脚線の目立つジーンズを登山用ブーツの中に入れている。今ついた尻餅以外にも転倒が多かったのか、全体的に土の汚れが目立つ。
 「いたた……」
 女はよろよろと立ち上がると、体当たりしてきた男の姿に戦慄した。
 しかし、すぐに抵抗の姿勢を取り警戒した様子で男を捉える。見た目より肝が据わっているようだが、腰が引けた姿勢では先程の少年と大差ない。
 男は今度こそ仕留めんとナイフを構え、振り上げようとした。

 「龍輝…?」
 女が出したその名前に、男の手が止まった。
 動揺する心の内を表すように木々はざわめき、森は刹那、時を止める。

 「何故」
 「え?」
 「何故、僕の名を知っている?」
 男は声を震わせて訊ねた。
 「…ありえない」
 自問自答する男の脳裏に、十年前の惨劇がフラッシュバックする。
 この地が水神村と呼ばれていた最後の日。
 どこを見ても転がっている人、人、人。
 それは自分の存在を知る全ての人が死んだ光景だった。
 なのに何故、目の前の女は知っているのか。
 鬼子と呼ばれ、たった一人生き残ったその少年の名を。
 「あの日私達は生きていたからよ」
 龍輝の中で錯綜する疑問を見抜いたかのように、女は答えを口にした。
 その口元はどこか皮肉めいた歪みを浮かべている。
 「残念ね。あなたを知る人間がまだ生きてて」
 目を細めて笑った女は自分が優位に立ったと確信を得たのか、抵抗の姿勢を解いた。女の答えが信じられない龍輝は、包帯の下に隠した顔を歪め、睨みつけている。
 「どういうことだ…」
 すぐに自分を殺しにかからず、詳細を聞き出そうと問い返してきた事に対し、女は意外そうに龍輝を見返した。
 「いずれ教えてあげるわよ。それまで足掻き続けてるといいわ」
 再び禍々しい笑みを取り戻すと、言葉に呼応するかのように、女の周囲にある落ち葉が不自然に舞い上がり始めた。
 風もないのに浮き上がる落ち葉は徐々に増え、まるでかき集めてきたかのように女の周りを取り囲む。
 異様な光景に龍輝は辺りを見回して戸惑い、その事態を狙っていたかのように女は自分を包む落ち葉に身を隠していく。
 「今日はあなたがいると確認できただけでもいい収穫だわ。…また会いましょう、殺し合うその日まで」
 その声で我に戻った龍輝は、女を逃すまいとナイフを落ち葉の固まりに投げつけた。手元を離れたナイフは空しく舞い上がった落ち葉 だけを切り裂き、塊の向こうへと落下した。
 女を隠していた落ち葉の固まりは舞い上がる力を失ったのか、規則性もなくバラバラと地面に落ちていく。
 そこに女の姿は影も形もなかった。

 大量の落ち葉とその奥に転がったナイフを見つめながら、龍輝は一人呟いた。
 「悪夢は…まだ続いているとでも言うのか…」
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