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6 - Get a freedom (2)
「ボスには感謝しないとなあ…?こうしてお前と殺り合えるんだからな!」
狂い笑う男は、ナハトをその目に捉えて離さない。
鬼気迫る様子で近づいてくる男をものともせず、余裕の様子で龍輝に耳打ちした。
「龍輝、篭目の足止めを頼む」
「了解」
短く合意を得ると、蜘蛛が散る如くその場を立ち退く。
それを目で追い、ユンジェンは逃がすまいと撃つ。撃たれた弾はナハトの髪を軽く掠り、空しく空に消える。

「今まで殺ってきた誰よりも殺し甲斐があるってもんだ。お前もそうだろ、ナハト!」
もはや好青年の面影はどこにもない。狂気の笑みを浮かべながら、一心にナハトを追うユンジェン。ナハトは表情を歪めただけで、その問いかけには答えなかった。

 ユンジェンと篭目のコンビネーションの高さを知っていたナハトは、二人を引き離す事に重点を置いていた。
的確に撃たれる弾を紙一重でかわしながら、ユンジェンが篭目から離れるのを一歩動くごとに確認する。篭目は時折こちらを見やるが何か話し込んでいるようで、ユンジェンのいるこちら側に近づく素振りは見せていない。
「篭目と俺を離したところで何も変わらないぜ?」
放たれた何発目かの銃弾はナハトの首筋を掠り、同時に振られたナハトのナイフはユンジェンの眉間を浅く裂いて、二人の動きは止まった。耳に届く声は聞き取れず、龍輝と篭目は闇に紛れて確認できない程遠くに離れたのが分かる。
「…本当にそれだけだと思うなら、お前は永久に頂点に立てやしない」
眉間から伝い流れてくる血を舌で舐め取り、にやりと笑いもせずナハトを凝視するユンジェン。頂点に立てない、という言葉が挑発だと見抜けぬ程腹が立っているらしい。
「貴様あ…!」
夜叉の如く怒りを露にし、手に持つM19をひときわ強く握ってナハトに銃口を向ける。その様子を身じろぎせず正面から見ていたナハトは、逆手に握っていたナイフを持ち直し、少しだけ体を沈めた。
「その口を永久に黙らせてやる!!」
躊躇いなくトリガーを引いたが、その後に銃声は続かなかった。
「!?」
予想外の事態にユンジェンの怒りは揺らいだ。もう一度トリガーを引いても、銃は空回りした音だけを発する。
「くそっ」
弾の切れたM19を捨て、懐からナイフを取り出すと、肉弾戦に持ち込もうと突進した。
それを待っていたナハトは更に体を沈め、音もなくユンジェンに向かって駆け出した。

 「貴方の事はね、最初から好きになれなかったわ」
篭目は静かにそう言った。
最初の突進を流すようにかわされ、体勢を崩した龍輝はすぐさま篭目の方に振り返った。絶対的に有利といえる立場に持ち込めたはずの篭目は、何もせずそこに立っていた。
「…何故撃たない?」
「昔、連続殺人犯を逮捕したの。…その男は、民家に押し入っては刃物で家の住人を次々に殺していた愉快犯だったわ」
こちらの言葉に聞く耳を持たないと判断し、龍輝は仕方なく篭目の独白を聞き続けることにした。
「取調べの際、男は笑いながら言ったのよ。『平和ボケした奴らを殺すのは楽しかった』ってね…。己の快楽と身勝手な正義のために、平凡に生きている人を何人も殺した」
無意識によるものか、ベレッタを握る篭目の右手に微かに力がこもる。
「貴方はね、その男と行動がよく似ているのよ。ナハトのそれとは本質が違う、快楽殺人者の目をしてる」
静かだった声音が、そこで明確な殺意を露にした。反射的にガバメントを構えた龍輝だが、引き金を引く暇はなかった。
「皮肉なものね…捨てた過去の記憶を、よりによって一番嫌いな出来事を、もう思い出す事はないと思っていたのに」
振り返った篭目の微笑みは、ひどく冷たかった。
「…僕はその男とは別人だ」
「知ってるわ」
微動だにせず微笑む篭目を睨み、構えていたガバメントを静かに下ろす。
「あんたがどんな理由でここに堕ちたかなんて興味ないが」
下ろされた銃の代わりに取り出されたものは、四本のナイフだった。
「一度でもその手で人を殺しているなら、同じ人殺しに変わりはない」
刹那、二人の視線が絡み合う。
張り詰めた糸が弾かれたように、龍輝に向けて銃弾が撃ち込まれる。その先に既に龍輝の姿はなく、銃弾は暗闇の影に消えた。
篭目は一歩後退し、懐に見えた鋭い光と大きな影をかわす。かわした勢いで地面に手をつき、背中から後転し距離をとる。
「―!」
後転から着地したのも束の間、右腕に絡みついたワイヤーに気付く。食い込むように絡みついた細く丈夫なワイヤーは篭目の骨肉を断ち、滑らかな切れ目を残して右腕を二分した。美しい切断面から、赤黒く生暖かい液体が留まるところを知らず零れ落ちてくる。
「笑わせてくれるわね。私が人殺しだなんて」
痛みによる狂気かただのやせ我慢か、篭目の微笑みは明確な笑い声へと変化する。龍輝はその笑い声に耳を貸さず、切断された右腕に握られたベレッタをすばやく回収した。
狂ったように笑っていた篭目の声が止み、力尽きたように項垂れる。
「…正義気取りの快楽殺人者に何が分かるというの」
柔らかな声音は消えうせ、暗い地の底から這い上がってくる呪いを思わせる声が小さく響いた。
ゆらりと顔を上げた篭目の瞳は黒く淀み、怨念に囚われた者のそれと同じ闇が込められている。
「裏切られた者の心は、貴方には到底分からないわ!」
懐から取り出された銃の引き金が引かれるのと、龍輝がナイフを投げたのはほぼ同時だった。

 強い力で地面に叩きつけられ、鈍く呻くユンジェン。
「ぐっ…!」
背中を強く打ったためか、即座に立ち上がれるだけの力が入らない。動きの鈍ったユンジェンに追い討ちをかけるように、ナハトはユンジェンの腕を足で押さえつけてデザートイーグルを構える。
「己の力を過信した自分を恨むんだな」
離れた場所から小さく銃声が聞こえた。
「…篭目!」
躊躇いなく構えた銃の引き金を引き、ユンジェンの耳元を弾が掠る。
「高慢なお前にも人を気にかける余裕はあるんだな」
発砲音によって聴力が一時的に麻痺しているユンジェンにナハトの言葉は聞こえなかったが、自分を見下ろすナハトの冷たい眼差しに、ユンジェンは初めて恐怖感を覚えた。
「これで最後だ」
引き金を引く刹那、もう一度離れた場所から銃声が届く。しかし、ナハトに届いたその銃声は決して他人事ではなかった。
銃を構えるナハトの右肩に突き刺す痛みが走り、力が入らずデザートイーグルを落とした。それを見逃さなかったユンジェンは立ち上がり、地面に落ちた銃を拾い構えた。
両足を地面につき右肩を押さえ、流れ弾が背後に命中したのだと認識する。
「形勢逆転だなあ?おい」
予想外の助け舟に口元が綻ぶ。笑いを抑えきれず笑い声を漏らすユンジェンを、目を細めて凝視するナハト。
「…お前は本当に形勢逆転したと思っているのか?」
笑い声は止んだが、ユンジェンの口元の笑みは止まない。
「何言ってんだ、どっから見ても俺の勝―」
刹那、ユンジェンの顔から勝利の笑みが消えた。
止んだ笑い声の代わりに聞こえてきた風切り音は、見えない刃となってユンジェンに襲い掛かった。
「―っあああああああああ!!」
絶叫が響き、暗闇の中に赤く生温い液体が飛ぶ。それが体にかかろうがナハトは気にも留めず後ろを振り返った。
「…やっと来たか」
その視線の先にいる男はどす黒い赤に鮮やかな赤を重ね、足を引きずり歩いてきた。

 甲高い音が弾み、赤黒いアスファルトに透明な破片が散る。
道標となる重心を失った細いワイヤーは宙を躍ってあるべき場所へ戻っていった。
「片付けてきたにしても少し遅い」
「無理言うな。お前と同じ早さで片付けられるわけがないだろ」
ナハトは軽くため息をつき龍輝の引きずる足を見やった。
太股に銃弾と同じ大きさの穴があき、赤黒く変色し始めている血が服にこびりついている。微かに痛ましげな面持ちで足から視線を逸らすと、仕方ないかと小さく呟いた。
「…ワイヤーの水晶が」
「?」
視線を下ろし、腕から地面に垂れ下がった細いワイヤーの先に何もないことにようやく気付く。無心に瞬きを一つして、ワイヤーをくるくると腕で巻き取った。
「元々、誰もが簡単に扱えるものじゃなかった。僕も例外じゃない」
たった今、ユンジェンの腕に命中して切断できたのは偶然に過ぎない。暗にそう言う龍輝の言葉を、巻き取られるワイヤーを虚ろに眺めながらナハトは察した。
そのまま龍輝の腕を視界から外すと、後ろでのたまいていたユンジェンの方に向き直った。
銃を構えていたはずのユンジェンの右腕は肩から綺麗に切断され、失血死は免れないと誰もが思える程赤黒くまみれていた。しかしその憎悪に浸かりきった瞳だけは、目の前にいる二人の男を殺し頂点に立つという歪んだ瑞光を信じている。
「無様なものだな」
膝をついたユンジェンを見下ろすナハトは、ユンジェンを見ているようで見ていなかった。その意味をどう捉えたのか、ユンジェンはなおも吠える。
「腕と篭目を獲って全部終わった気分でいたら大間違いだ…!」
ナハトは自分に絡みつく憎悪の視線を気にも留めず、ただ呼吸を整えるためだけの息を吐く。刹那息は白い煙となって、冷たい空気の中に淡く消えた。
「組織は死んだ。お前が妄信したものも消えた。それを認められない以上、お前はどこで生きても叶わない妄想を抱いたままのた打ち回って死んでいく」
どちらにせよその体で生きることはできないがと付け足して、切断された腕を拾い、銃もろとも遠くへ投げやった。暗闇の向こうでカシャンと音が鳴り、続けてボスンと重いものが埋もれる音が返ってきた。
「…行こう」
一拍の沈黙を置き、ナハトは腕と銃を投げやった方向を向いたまま小さく目を伏せた。その言葉を理解した龍輝は、何も言わず二人に背を向けて歩き出そうとした。

 ―刹那。

 「龍輝!」
自分の名を呼ぶナハトの声が荒ぶ。
反射的に振り返ろうとした瞬間、聞き慣れた銃声と共に銃弾の影が視界に入る。
全てがスローモーションで動いて見え、駆け寄るナハトの姿さえ遅くなる。
ナハトはそのまま龍輝と背中合わせにぶつかり、冬の冷気で冷え切っているはずの左胸が熱を帯びるのを一瞬遅れて自覚する。
帯びた熱は痛みに変わり、瞬時に龍輝の体力を奪っていった。
駆け寄る勢いを止める事ができなくなったナハトを支える力さえ奪われた龍輝は、半分ナハトの下敷きになる形でうつ伏せに倒れ込んだ。
背中に生温かい液体が滲み、それを吸い上げた服が冷えて撃たれた事を知る。
貫通していない銃弾は龍輝の左胸に燻り、熱で自分の体が焼けていく感覚が痛烈に悲鳴を上げている。
寒空の静寂、何の音もないが、龍輝にはそれさえ喧騒のように聞こえた。
「言ったよなあ…?全部終わった気分でいたら大間違いだって」
銃弾が飛んできたその方向、倒れた龍輝の後方から、笑いを含んでいながらおぞましい程の怨念を感じずにはいられない声が届いた。
痛みに耐えどうにか首を動かすと、嗅ぎ慣れた鼻を突く臭いの向こう側に銃口が見える。更にその暗がりには―左手に銃を構え狂気の笑みをこぼす、ユンジェンの顔があった。
「こんなところでのたれ死ぬなら、貴様らも道連れだ…!」
失血で血の気の失せた顔は蒼く、もはや立っている事さえ不思議に思える。ゆらりと不安定に揺れながら歩いてくるその様は、生ける屍そのものだった。
「……」
ワイヤーを握り締め、ナハトの下から這い出し足元を見やる。
苦悶の表情を浮かべたまま仰向けに倒れているナハトも胸を撃たれていた。滲み出す血は右胸と脇腹にあり、撃たれた弾は二発だったと気付く。
動かないナハトを死んだと判断したのか、ユンジェンはナハトに見向きもせず龍輝の方へと真っ直ぐ歩みを進める。反射的にホルダーからガバメントを抜きトリガーを引こうとするものの、痛みと失血による体温の低下でうまく引く事が出来ない。
「くっ…」
「…はっ、貴様のような素人がその体で何ができる。暗殺の素質だけで組織に入った貴様に、頂点に立つ素質は微塵もない。…そんな下等生物に組織を、篭目をやられたなんて、俺は認めねえ…!」
ゆらりと揺れながら、また一歩龍輝に近づく。左手に握られた予備のM19だけがユンジェンから憎悪と怨恨を吸い上げ、操っているかのように力強く命を灯らせている。
「…お前みたいな奴がいたんじゃ、俺達がいなくても組織は潰れてただろうな」
龍輝の吐いた小さな毒はユンジェンの精神を更に逆撫でするには十分だった。歩みを止めたユンジェンはゆっくり銃を構える。恨みの篭った目は既に龍輝を見ていない。失血の量が限界に達し、意識が朦朧としているのが目に見えて分かった。それでもトリガーを引こうとする指は変わらない。
龍輝は弾の切れた自分の銃を下ろし、視界を閉ざすためだけに目を閉じた。一拍後に聞こえてくるであろう銃声を聞き、全てに終わりを告げるために。
その予想に違わず、一拍の間を置いて龍輝の耳に銃声が届いた。

「最もな意見だな、龍輝」
銃声の後に聞こえてきた予想外の声に、龍輝は再び目を開けた。
冷たいものが顔や腕にかかり、一瞬雨が降り出したのかと錯覚する。ほんの僅かに残された温みを感じ、それが雨ではないと気付き前を見上げると、額に穴を開けたユンジェンが倒れるその瞬間だった。意識という最後の支えを失った体は銃弾の飛んできた方向に沿って膝を折り、地面により離れた部位から重力に引き寄せられてくずおれた。
肉塊と化したユンジェンの背後から見える硝煙の奥、胸を押さえて横になったままグロックを構えたナハトがそこにいた。
「ターゲットの生死の確認もしない奴が頂点に立ったところで、そんな組織は一日で潰れる」
「…また助けられたな」
小さく安堵の息を吐き、思い出したように悲鳴をあげた胸の痛みに思わず呻き血が逆流する。
痛みを和らげようと起こしていた上半身を寝かせ、息を整える。吐き出される白い息は深く短く、どれ程息を吸って吐こうと息苦しさは消えない。
ナハトは力尽きたように銃を下ろし、体を横向きに変えた。煤だらけの顔に髪がかかるも、それを退けようとする力と気力も尽きていた。
長い沈黙の中、燃え尽きた瓦礫に燻る炎と、互いの白い息と音だけが規則的に耳に入る。街頭のない狭い路地は黒く、寒空に浮く月明かりさえ入りにくい。その路地より明るい空から白いものが降り、頬に落ちてきた。白いそれは空気より冷たく、全てが終わったと告げるように降り続ける。
「龍輝」
目を動かすこともなく、隣で倒れている男が尋ねる。
「…親父がそうだったように、俺はここ以外に生きる道を知らない。だが親父はここを抜け出して何かをしようとしていた」
ナハトの両親は組織に殺され、ナハトはその組織を潰した。目を伏せたまま握られた銃を見つめているナハトは、どこか安らぎを得たような面持ちがある。
「…ナハト」
「巻き込んですまなかった」
龍輝の声を軽く遮るように、ナハトは謝った。
「だが一つ違う…。お前が呼ぶナハトという人間は、組織と共に死んだ。ここで死にかけてるのは水井リオという、復讐を果たした一人の人間だ」
そう言い終わるか終わらないかの瀬戸際でナハトは強く咳込み、吐き出された血が地面に広がる。空から降る雪は何も知らず落ち、紅く染まり血溜まりに消えていく。その様が霞んで見え、もう体力が残されていない事を龍輝は悟った。
「―リオ」
名を呼びなおし、龍輝は続ける。
「僕はどんな結果であっても、後悔するような計画だったら…始めから手を貸そうとは思わなかったさ」
霞んだ目を静かに閉じ微かに笑うと、一筋の血が零れた。生温かかった血は冬の冷気で温もりを失い、冷たさを纏ってぽつりと落ちていく。その感覚も薄れ、体中を暴れまわる痛みさえ鎮まっていくのを感じながら、のろのろと近づく眠気にも似た意識の遠のきと共に五感を失っていく様を、龍輝は他人事のように思った。


 「…―とう」
聞き取れない程小さな声が、遠くで、近くで聞こえた。
それを確認する為に目を開ける力はなかったが、誰が何と言ったのか、龍輝は朧気な意識の中理解した。
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