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6 - sign
光が、見える。
ゆらゆらと形を変えるそれは碧く、水底から見る明かりのように眩い。
俺はぼんやりした意識の中、その中を漂っているとはっきり認識した。

 最後に見たものは女の歪んだ顔だった。
狂った顔でこっちを見るあの顔を俺は見たことがあるような気がしたが、それを具体的に描くには頭がはっきりしない。
見たことがある気がするのに、あの顔は記憶の引き出しを開ける鍵にはならなかったようだ。
もう一つ、鍵になりそうなものといえばあの声と名前。
あの女は警察と同じように俺をナハトと呼んだが、あの声だけは最初から俺の名を知っていた。…正体が全く分からない。
俺は軽く溜息をついて区切りをつける。
眼前に揺らめく水面は遠ざかりつつあるようで、碧がその濃さを増していた。

 「リオ」
朧げな意識をはっきりさせる声が、光とは反対の方向から聞こえた。
くるりと視界を変えると、黒い人型の影がある。
俺は左腕のないその影があの声の正体だと、直感的に理解できた。
「…あんたは」
周りの碧い色とは絶対的な違いを表すその影に呼びかけてみる。
「…前から聞きたかった。あんたは何故最初から俺の名前を知ってるんだ」
拘置所を出てからあの女と対峙するまで、いくら問い掛けても全く返事を返さなかった声の正体がここにいる。
今なら答えてくれるだろうと量って俺は尋ねた。
「―…昔お前から教えてくれた。本当の名前はナハトではなくリオだと」
影はやや考え込んだ様子で言い、それ以上その事について語る様子はなかった。
記憶がない俺にとってそれが事実かどうか分からないが、今はそうだと考えるしかないのだろう。俺は軽く頷いて相槌を返す他なかった。
「僕が伝えられることはそれくらいだ。…目が覚めたら暁に色々話すよう言ってある。それを聞けば少しは役に立つだろう」
しばらくのさよならだと付け足して、影は水平に右手を振った。
その瞬間、遠のいていた光が急に強くなって辺りを覆う。
「―」
すべてが光に埋もれる直前、光に照らされた影の姿が見えたような気がした。

 目が潰れそうな程の光の洪水が引くと、見慣れない天井が見えた。
「(―…室内?)」
視覚が正常に動いている事を認識し、続けて四肢に命令を下す。
手や足腰に触れる柔らかな布の感触と―
「!?」
生暖かい毛の手触り。
リオは勢いよく上体を起こしてそれを確認する。
左脇腹と腕の間に挟まるようにうずくまっていたそれもまた驚いた様子で、双眸を丸くしてリオを見上げている。
白黒模様の毛の塊は紛れも無い猫だった。
リオはしばらく猫を注視し、一方で丸くなったままぱたぱたと短い尻尾を振っている猫は不満そうな顔をしてリオを見つめている。
睨み合いは長く続かず、猫はにゃあと鳴いて再び顔を自分の腹に埋めて丸くなったが、不満を主張するかのように尻尾だけはぱたぱたと振っていた。
睨む相手がいなくなったリオは、振り続ける猫の尻尾を眺めていた。

 遠くから階段を上る足音が聞こえ、リオが辺りを見回して部屋のドアを見たのと、ドアが開くのはほぼ同時だった。
「あ」
猫が侵入してきた痕跡か、元から半分開いていたドアノブは空回りして開く。
そのまま前に一歩踏み出して部屋に入ってきた青年の手には盆があり、二つのマグカップと平皿が乗せられている。
「たまり、人の布団に入るなよー」
青年が呼び掛けると、ぱたぱたと尻尾を振って丸くなっていた猫がはっとした様子で顔を上げて嬉しそうににゃあと鳴いた。
どうやら「たまり」とは猫の名前らしい。
「あんた…さっきの」
リオは青年に見覚えがあった。
その声に反応して青年の視線が猫からリオに向けられる。
「あ、よかった。体の方は大丈夫ですか?」
屈託のない笑みを浮かべて、青年は問いかけた。
リオは頷くと、青年はうんうんと頷いて盆を床に置いた。
高校生あたりの年齢と見間違えそうな程幼い外見とは異なり、その声質は成人男性のものである。若く見えるだけであり実年齢はリオとそう変わらないか、幾分年下だろう。
「ええと…、さっきって言いましたけど、洞窟で遭難してから三日経ってるんですよ」
間延びした切り出しの後、別の言葉を口にしようと開いた口は躊躇われ、さっきという言葉にすり変わる。
リオは三日経っていた事実を流し、口唇から青年が閉ざした言葉を読み取って口にした。
「あんた…今リオと言ったか?」
「え」
青年は分かりやすい程に慌てた顔をして視線を逸らす。
互いに驚いているのは同じだった。
リオは青年が自分の名前を知っていたこと、そして青年は名前を口にしていないのにリオが看破したことに。
後者はリオ自身が持つ口唇術によるものだが、青年はその技術の名前さえ知らない。
「えーと…その、何て説明したらよろしいのかー…」
青年は助けを求めるような目でたまりを見遣るが、猫は素知らぬ顔でリオの腕に顎を乗せ喉を鳴らしている。
「…正直、信じられる話じゃないんですよ」
たまりに見放され観念したような様子でリオに視線を戻し、ぽつりと言葉を漏らした。
「何度か、…リオさんを龍兄って呼んだのはご存知ですよね」
リオは記憶を探して肯定する。
「龍兄は俺が慕ってた人なんですけど…三年前に死んだ人で、ここにはいないんです。雰囲気というか…リオさんはその辺が龍兄に似てて」
それで思わず龍兄と呼んでしまったと青年は白状して、気恥ずかしそうに頭をかいた。
「…先をお話する前に一つ尋ねてもいいですか?三日前の事なんですが…俺自身、まだ信じられない事なんです」
リオ自身、三日前の出来事は曖昧だった。
「俺が分かる限りの事なら」
半ば確信した面持ちで青年は尋ねた。
「リオさん、洞窟を離れた後戻ってきた覚えありますか?」
考えるまでもなく、青年の質問に首を振って否定する。
「…じゃあ、やっぱりあれは龍兄だったんだ」
「?」
青年ははっとして何でもないですとはぐらかした。
「でもこれではっきりしました。リオさんが覚えてないとすると、俺は三日前龍兄に会ってた可能性があるんです」
「…は?」
一人確信する青年の発言が分からず、思わず眉間に皺をよせて言葉を漏らす。
「あ、一人で納得しててすいません。…お尋ねした事の結論をお話しますと、リオさんは洞窟に戻ってきたんですよ。自分の足で歩いて。
でもそれはリオさんの仕草じゃなくて、俺が知ってる龍兄の仕草そのものでした。俺、一度も名前言ってなかったのに呼んだんですよ」
俺の名前知ってますか?と尋ねられ、リオはもう一度首を横に振る。
「…それはつまり、俺にその龍兄という霊か何かがとり憑いてたって話か?」
青年は一拍間を置いて頷いた。
「…非現実的な話だな」
「ですよ、ね」
青年は肩を落として俯いた。
その様子を見ながら、リオは思い当たる点を無意識に口にしていた。
「でも、逆にそれで辻褄が合う節がある」
「え」
「少し前に助けてもらった恩人の言葉を借りると…俺にしか働かない力がある、らしい」
リオはたまりが枕にしていた自分の左手を持ち上げ、軽く喉を撫でてからそっと離す。
「例えば―俺以外の誰も聴こえない声とか」
持ち上げた左手と右手を組み、何かを握るような手の形を作る。
手の周りには粒子が集まり、それは一つの物質として具現化しリオの手中に収まった。
「手で形作るだけで、銃がこうして現れるとか、な」
持ち慣れたデザートイーグルを、リオは親指で少しだけ撫でる。
記憶に残る父の背中から、自分が銃を持ち慣れている理由を何となく解っていた。
しかしそれから後に銃を持った覚えはなく、いつからそうだったかは思い出せない。
青年は驚いた顔のまま刹那物思いに耽るリオと銃を交互に見遣る。
「ええと…、もしかしなくても、本物…ですよね」
リオは黙って頷いて銃を掌の上で弄ぶ。
「持ってみるか?」
え、と戸惑いの表情を見せる割に何故か子供のような好奇心を漂わせる青年の顔を見て、リオは半ば呆れたような気持ちになった。
少年たるもの、やはり憧れはあるらしい。
「ここがトリガーだ。安全装置はかけてあるが下手に引くと暴発するから触れないほうがいい」
おずおずと両手を差し出す青年の掌に、デザートイーグルを乗せる。
拳銃の中では大型で重みのある銃身は片手で扱うには難しく、青年はかたまったまま銃を見つめていた。
「…あ」
声を上げたのは二人同時だった。
青年の掌に乗せられた銃はそれだけ時間が早送りされたようにさらさらと風化し、最後には砂のように粉となって消えた。
「…消えた」
一粒残らず消えた銃の感触が未だ掌に残る。
青年は何か悪いことをしてしまったような罪悪感に駆られ、酷く困惑した顔でリオを見る。その両頬には「どうしよう」と「ごめんなさい」の二言が見えるようで、リオは込み上げてくる笑いを堪えるのに苦労した。
「気にするな。俺が渡してこうなったんだから」
な、と念を押して青年を納得させて一息つく。
「あんた、人から分かりやすいってよく言われるだろ」
堪えてもなお込み上げて来る笑いを吐き出すつもりで言った言葉に、青年はうんうんと頷いて肯定した。
「小学校の頃から会う人皆に言われますよ、本当。龍兄にも言われて―…あ」
何かを思い出したのか、言葉を止めて立ち上がると足元の方にある机の引き出しを開けて何かを探し出した。
「その龍兄に頼まれたんですよ。リオさんが起きたら俺の知ってる事を話せって」
そう言いながら引き出しの奥にしまわれた物を取り出してリオの元に戻ってきた。
青年が手にしていたものは一枚の黄ばんだ藁半紙と―
「―それは」
ほんの数分前に風化し消えたデザートイーグルと同じ型だが、完全に錆びて使い物にならない銃だった。
青年は錆びに触れないようティッシュを数枚重ねた上にそれをのせ、もう片方の手で紙を広げてリオの前に置いた。
「三年前、俺が龍兄の住んでた場所に行った時遺されてたものです。水神村のいくつか手前のバス停から結構歩いた廃工場なんですけど、あの辺は水神村の事件以降いわくつきになっていて近寄る人はまずいません」
レポート用紙サイズの藁半紙は四つ折に畳まれた後があり、折り目からすぐに破れてしまいそうな程折皺がついている。
「実はこいつ、その廃工場にいる猫の子供なんですけどね。親猫は最初から人に懐いてた辺り、多分龍兄に育てられてたんだと思います」
そう言いながら、青年はリオの脇で喉を鳴らしてうとうとしていた猫を持ち上げて自分の膝の上に乗せた。
気持ち良さそうに目をつぶっていたたまりは腹を上にして座らされ、眠そうな顔をリオに向ける。
不満を目で訴えて来る猫を見つめながら、リオは広げられた手紙を手にとって文字を流し読む。
ボールペンで綴られた縦書きの文字は右肩上がりが特徴的で、達筆ではないが読みやすい。
文章の内容は特定の誰かに向けて綴られたもので、その相手に何かを託すような書き方はおよそ死を悟った書いた遺言に近い。
宛てられた相手が目の前にいる青年だというのは明白だった。
「―あきら?」
遺書めいた文章の最後に書かれた人名にひっかかりを覚え、小さく口にしてみる。
それに反応して、自分の膝に乗せた猫を弄んでいた青年が顔を上げる。
「あ、それ俺です。瀬戸内暁って言います」
忘れていた事を思い出したかのように早口で名乗ってから、自己紹介してませんでしたねと苦笑いして見せる。
それはそれで一つ理解したリオだが、いま一つ何かを忘れているような面持ちで暁の顔を見ていた。
「あ」
忘れていた何かは記憶の引き出しにあった。
それに合わせて、欠けていた欠片が一つ繋ぎ合わさり一本の糸が紡ぎ出される。
「あの影は―龍兄、なのか」
「え?」
リオの一言で話が分からなくなったという顔をして、暁は猫と遊ぶ手を止める。
「俺にしか聴こえない声も、銃をよこしたのも、その龍兄だ」
沈んだ意識が浮上してから最初にみた碧い光の海の陰りに在った黒い影。
四肢をベッドに縛られた中覚醒した自分に声をかけ、何もない空間からデザートイーグルを出現させた、姿を現さない男の正体。
影を模した男は確かに、自分の事は暁が話すと言っていた。
「―さしずめ、死んだ人間が生きた人間に憑いて干渉してきた、という事か」
リオはくすりと笑って錆びた銃を見つめた。
手紙の最後に書かれた差出人の名前は「龍輝」と記されている。
その名前に酷く懐かしい既視感を感じていながらも、それを再認させる記憶は引き出しにはなかった。
「…暁、だったか」
名を呼ばれた暁ははっきりとした返事を返す。
「何でしょ?」
「多分、俺はこいつを知ってた」
多分という下りから、リオの記憶が曖昧であることを察した暁はその意味を理解した。
「…なんとなくですけど、記憶がないんですね」
リオは静かに肯定し、手紙を畳んだ。
「誰に聞いても俺を知らないし、知ってる奴は俺をナハトと呼んで敵視する奴ばかりだ。―多分、それが世に知られてる俺の名前なんだろうが、今の俺はそう呼ばれていた頃の記憶がない」
嘆きに等しいその言葉はどこか重く、背負うものの重みさえ龍兄に似ていると錯覚する。
「それは―この世にいない人間と同じで」
記憶に残る言葉を、知らず口にして我に返る。
「…その言葉、どこで聞いたんですか?」
はっとした様子で、暁はリオに尋ねた。
リオは首を振って否定するが、その表情は確かなものを見ていた。
「覚えてない…けど、誰かが言った言葉だ」
その誰かが誰であるか確かな証拠がなくとも、リオは知っていた。
「俺はその言葉、龍兄から聞きました」
暁の言葉に静かに同意する。
自分は確かに龍輝という男を知っていて、彼の口からその言葉を聞いたことがある。
「…龍輝について、詳しく聞かせてくれないか」
影の落ちた青黒い瞳に、意志が宿る。
暁は安堵にも似た気持ちで頷いた。


 龍兄―青井龍輝と呼ばれる男は、リオの記憶に残された言葉に相違ない歴史の持ち主だった。
戸籍がなく、史実上は存在しない人間であること。
約三十二年前に水神村に生まれ、鬼子として扱われた果て父親と共に村を廃村にした殺人鬼。
暁の話によると、五年前に暗殺組織の人間の脱退に手を貸すために加入してから姿を見せなくなり、三年前に訪れた時に遺された手紙と銃を見つけたという。
「―…俺が見つけた時に手紙はもうぼろぼろだったから、龍兄が本当に死んだのは多分五年前になると思うんですよ」
錆びた銃を重ねたティッシュの上から撫で、最後に暁はそう結論づけた。
リオは黙ってその様を眺めながら、戸籍のないまま死んだ男の記録を反芻する。
「その組織は今もあるのか?」
え、暁はと顔を上げる。
「組織の脱退を手伝うために入ったと言ったんだろ。手伝いに失敗して殺されたとかじゃないのか」
「それは俺も分からないです…けど」
少しの間を置いて暁は推測を口にする。
「そうだとしたら、その組織は今もあるってことでしょうか」
「可能性はゼロではないな」
言って、リオはそれを確かめる方法を頭の中で組み立てていく。
手がかりになりそうなものは、遺された手紙と錆びた銃。
手紙には組織について書かれているものの客観的な情報が乏しい。
錆びた銃に目を落として観察しても、自分が持っていたデザートイーグルと同じ型である以外分かる事はなかった。
物質的なものから得られそうな手がかりは早くもなくなってしまい、少し考え込む。
「暁、龍輝が組織に入ってからの事を詳しく思い出せないか?」
「うーん…」
残る手がかりは暁の記憶しかない。
「その頃から龍兄とあんまり合わなくなったから、組織の事はほとんど知らないんですけど…んー」
必死に思い出そうとする暁に頼りの目を向け、答えを待つ。
「あ」
そう長く待たずに答えは返ってきた。
暁は錆びた銃に目を落とし、ティッシュの上からそれを持ち上げる。
「確かこの銃、脱退をお願いしてきた組織の人から受け取ったものだって言ってました。えーと…その人の名前も確か聞いたんですけど…なんて名前だったかな…」
最後はごにょごにょと曖昧な発音になって消えてしまったが、リオには十分な手がかりになった。
龍輝が組織の人間から受け取った銃ということは、錆びた銃は物理的な手がかりであることになる。
「―ちょっと貸してくれないか」
暁は差し出された手の上に銃を乗せた。
茶色い錆を纏ったそれはリオの手にすり付き、適度な重みを持たせる。
大した違和感もなく手の中に収まった銃を両手で構えると、銃身に何かが刻まれているのに気付いた。
「―?」
グリップに薄く刻まれた文字は小さく「Nacht」と書かれ、人為的に残されていたその文字に見覚えがあった。
「この字は―」
文字の上にある錆びを親指で拭うと、よりはっきりと字が浮かび上がってきた。
「何か見つかったんですか?」
「…」
暁の問いにリオは答えず、ただ浮かび上がった文字を見つめていた。
グリップに鋭利な刃物で不器用に刻まれたNacht boteという文字は、リオの字だった。
「…っ」
刹那、記憶を探ろうとする意思を拒むように頭が痛む。
無造作に銃を暁に突き返すと、リオは布団に顔を埋めて頭を抱え込んだ。
「―えと、あの」
リオの挙動から銃に何かあったと察し、暁は慌てて銃を隠す。
「…すまない」
布団に顔を埋めたまま謝り、リオは深く溜息をついた。
「や…一度に思い出そうとするのはよくないってよく言いますし」
少しずつ思い出していきましょうよと締めて、暁は手紙と銃を手に立ち上がった。
膝から下ろされた猫はにゃあと鳴いて暁の周りをうろついた後、再び布団の中に潜り込んで寝そべる。
リオは寝そべった猫を撫でながら顔を上げ、正面に見える窓から曇天の空を見上げた。視界の隅では暁が手紙と銃を机の引き出しの奥にしまう様子が窺える。
「ところで、リオさんはどこに住んでるんですか?」
引き出しの中が詰まっているのか、中身を軽く整理しながら暁が尋ねた。
リオはその問いに一拍間を空け、考えた末自分の立場を答える。
「適当に雨風しのげる場所を探して寝てる。飯はさっき言った恩人…志島さんからよく分けてもらってる」
「…それはつまりホームレスって事ですよね」
何とか手紙をしまい込んだ暁は苦笑いをしながら振り返った。
「まあ…拘留所抜け出してからの記憶しかないしな」
「え、拘留所?」
何かにひっかかった面持ちで暁は問い返す。
それに気付いていながら、リオは黙って頷き言葉を続ける。
「最初に目を覚ました場所がそこだった。それより前に何をしてたのか、何故そこにいたのかは全く覚えてない」
一旦そこで言葉を句切り、暁の反応を見る。
暁は眉を潜めてうーんと唸り、すぐに何かを思い出した様子で口を開いた。
「リオさんまさか、八月に拘留所を脱走した人じゃないですか!?」
その言葉に悪意はなく、尋ねた問いが肯定されれば次に何を言うかさえ予測できる口調だった。
リオは一拍置いた後、黙って頷いた。
「警察は俺をナハトと呼んだ。あの様子だと、俺は何かの重要人物扱いだ」
暁は驚いた顔のままリオを直視してかたまっている。
「皮肉な話だがな。追われてる立場というのも、覚えていない過去が残した一つの手がかりなんだ」
眉を潜めて笑うと、布団をめくり上げて立ち上がる。
「そういう身である以上、ここにいれば暁に迷惑をかけるどころか暁自身が罪に問われる。―今の俺は、助けてもらった恩を仇でしか返せないんだ」
立ち上がったリオは暁と目を合わせず、猫の頭を軽く撫で回してドアに向かおうとした。
「何もしてやれないが―話を聞かせてくれて、ありがとう」
ノブに手をかけ、躊躇いなく回して手前に引く。
ドアの向こう側にはフローリングの床で繋がった廊下があり、右手の先に下る階段が見える。
「(― 立ち去ってどうする気だ?)」
廊下に一歩を踏み出しかけて、聞こえた声にリオは足を止めた。
「…暁は普通の人間だ。あんただって自分に関わるなと言って聞かせてただろう」
頭に響く声に対し、言い逃れるように吐き捨てる。
龍輝はそれに答えず、ただ黙ってリオの言葉を待った。
「俺が言葉に甘んじれば隠匿罪で捕まる。それはあんたも本望じゃないだろ」
「(…まあ)」
曖昧な返事を返して再び黙り込んだのを確認すると、リオは今度こそと廊下に一歩を踏み出す。
「リオさん」
一歩を踏み出したところで、背後から呼び止められた。
リオは振り返ることなくその場に立ち止まり、次の言葉を待つ。
「…えっと、その、記憶が戻る手がかりになるなら、たまに探してもいいですか?」
「…探せるなら、な」
背後から、はい、とやや元気な返事が返ってきた。
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