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Gensou-roku Novels Archive log : Copyright(C) 2010-2022 Yio Kamiya., All rights reserved. 無断転載/改変禁止

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5 - ghost
広場まで走り抜けると、土と草の刃はピタリと止んだ。
 辺りを見回すと、歴史の深さを窺わせる木造家屋が何棟も倒れている。どうやらここが水神村で間違いないようだ。
 「…なんだこれは」
 『彼』が感じ取ったらしい違和感はリオにも分かった。


 この廃村は人の手が入らなくなって十何年も経つ。なのに、不自然な程に雑草が見当たらない。
 顕になった地面は酷くぬかるみ、簡単に足を取られてしまいそうだ。
 その地面に出来た水溜まりから、雑草の葉先が顔を覗かせていた。
 まるで、沼に引きずり込まれたかのように。
 「こんにちは」
 リオは顔を上げ、正面から聞こえた声の主を見た。
 その黒さに、暁が見たという影と錯覚しそうになる。だが、れっきとした生身の人間だった。
 黒い服に身を包んだ女は、柔和な顔でリオを見つめる。
 まさか彼女を正体不明の影と見間違えた、というわけではあるまい。話では顔もなく、目の前で分裂したとも聞いている。
 「五年ぶりかしら…あなたに会うのは」
 おしとやかな女の声には、精神を逆なでするような殺気が仄かに混ざっている。
 女の黒く赤みを帯びた瞳はリオの青いそれと似ているが、奥底に湛えるものは全く別物のようだった。
 「悪いが、俺はあんたを覚えていない」
 面と向かう女に既視感を感じるものの、閉ざされた記憶が開ける気配はなく、リオは首を横に振って女に応える。
 「そう…記憶がないという話は本当だったのね」
 その様子に残念そうな声で肩を落とすと、僅かに首を傾げてリオを見つめる。
 顔を伝い落ちる雫は冷たく、温く、雨とは違う。
 まさかこんなところで、自分を知っている人物に出会うとは思わなかった。それも、友好的ではない知り合いだったようだ。
 「それなら少し昔話をしてあげましょうか。この村で生まれた、一人の男の子の話」
 目を伏せて話し始めた女は、自分の事もリオの事も教える気はないらしい。
 濡れた黒髪を耳にかける仕草は優雅であるが、その優雅さに似合わない殺気と隙のなさにリオは眉をひそめた。

 「その男の子は、この村が憎くて仕方がなかった。ある日、外からやってきた男が手を貸してやると言って、二人で村の人全員殺したんですって」
 大きなナイフと日本刀で次々と、確実に急所を突いて殺してまわったそうよ。
 語り始めた彼女の目にはきっと、無残に殺された村人達の姿が映っているのだろう。
 硬く閉じた口の間に、悲しみと怒り、憎悪が渦巻いているのが見える。
 「…彼らに殺された村の人はきっと、二人が憎くてたまらない思いを抱えて死んでいったのでしょうね」
 そこで言葉を切り、女はリオに据えていた目線を伏せた。
 子供をあやすような柔らかな声で呟き、祈るように俯く女の姿は、黒い服を身に纏っていながらも聖母のような純粋さを印象付ける。
 しかし悼む言葉とは裏腹に、彼らは死んで当然だったとでも語っているかのような表情に、虫唾が走る。
 彼女が誰だかも思い出せないのに。
 「手を貸してくれた男は結局、最後の一人に反撃され死んでしまった。それから一人、誰の手も借りることなく大人になった男の子は、暗殺者に気に入られて組織に入った」
 「…暗殺者?」
 その単語が記憶の扉を小突いた。
 だが彼女は最後まで止める気はないのか、リオの問いに聞こえないふりをして話を続ける。
 「彼は暗殺者としてすぐに頭角を現したわ。けれど、組織というものが合わなかったのでしょうね。組織を潰そうと企てていた暗殺者に手を貸し、最後の一人に撃たれて死んだ」
 かつて、自分に手を貸してくれた男と同じように。
 そう締めくくると、彼女はそっと目を閉じた。

 それは誰の物語かなど、尋ねるまでもない。

 リオは大きくため息をつき、一人満足そうに俯く彼女を睨みつけた。
 「昔話はそれで終わりか」
 目を閉じていた表情が、ピキリと凍りつく。
 「…いいえ、この話には続きがあるのよ」
 女の優しい声はそこで豹変した。
 さわさわと鳴り響く木々の音が、地面に強く打ち付ける雨音より不自然に強く耳元を掠める。
 「彼に殺された村の人達は、彼に復讐したい一心でここに留まり続けている」
 閃光が凍りついた顔に影を落とし、刹那表情が消える。
 轟く雷の音と共に頭を上げた女の眼は、滲み出ていた殺意をむき出しにしてリオを捉えていた。
 「だから私は協力したの。彼らの命と、私の居場所を奪ったあなた達を殺す為に」
 狂気に満ちた声に応え、リオは銃を構える。
 彼女がリオを殺すと言うのなら、リオはそれに抵抗するまでだ。
 しかし武器もない女は身一つで、憎悪の結晶のような瞳をリオに向けたまま近付いて来る気配はない。
 「今度こそ消えなさい、ナハト。あなたの後ろにいる魂もろとも」
 「―ナハト?」
 しかし、彼女は相変わらず問いには答えない。
 苛立ちが積もり、向こうから来ないのならば引き金を引いてしまおうかとさえ考えてしまう。
 その思考に躊躇いはあっても葛藤がない事に、リオは気付いていない。
 冷え切った瞳を瞬きで温め、ハンマーに指をかけた時だった。
 「……あなたの腕も落ちたものね」
 女が口元だけ微笑ませて返すと、リオの足元が突然ぬかるみだした。
 「!?」
 粘土質の泥に足を取られ、軽くふらつく。緩い泥はみるみるうちにリオの足を飲み込んでいく。
 「くっ…」
 抜け出そうと足を動かす程体は沈み、あっという間にリオは腰辺りまで浸かっていた。
 「生き埋めにされる気分はどうかしら。…彼らが考えてくれた、あなたの殺し方よ」
 三日月の笑みを浮かべ、恍惚としてリオを眺めている女は心底嬉しそうだ。
 「あなたは撃たれる痛みには慣れているでしょうから。どうしたらよりあなたが苦しんで死んでいけるか相談したのよ」
 そういうのは専門外だったものね、と語る彼女の周囲には、影達が音もなく立ち聳えている。
 洞窟で出会った青年が話していた影の正体は、殺された村人達の怨念で間違いなかったようだ。
 リオは見るに値しないその顔から目を背け、降り続ける雨模様に視線を移した。雷雨は変わらず空から地面を打ち、粘土質な土に染み渡ってリオを土へと引きずり込む動力となる。
 このままでは本当に生き埋めにされてしまう。
 「あなたが私を憶えていなかったのは心残りだけど…仕方ないわね」
 狂い笑う声の主は、もはや人としての理性を失っている。否、始めからなかったのかもしれない。

 「―あんたも、これを望んでたのか!?」
 地上に残されている体の部位は、頭のみ。
 リオは縋るように、咎めるように、沈黙を続ける魂に向かって叫んだ。

 (―起きろお前達。一人残らず食い尽くせ)
 その瞬間、リオの意識は落ちた。

 * * *

 彼女は『彼』が見えていた。
 依代であるリオを殺せば、村人達は彼を殺せる。
 あと少しでそれが叶うところだったのに、『彼』の一言で異変は起きた。
 「う…がっ…!?」
 老若男女、村人達のあらゆる悲鳴が、鋭い痛みとなって彼女の体を駆け巡る。リオが『彼』の依代であるように、彼女もまた、村人達の依代となることで協力を取り付けた。彼らが傷付けられれば、その痛みはそのまま彼女に伝わる。
 しかし『彼』は目の前から動いていない。誰かが、村人達を攻撃しているのだ。
 「(一体誰が…)」
 胸を押さえてうずくまった彼女は耐えるように呼吸が荒くなり、落ち着かせようと額を膝に乗せて息をのんだ。
 あまりの痛みに、彼らを襲っている相手の正体を探るだけの余裕はない。
 「落ち着いて…まだナハトは死んでいないわ、早く引きずり込みなさい!」
 膝に顔を埋めたまま村人達に指示を下す。しかし、リオを引きずり込もうとする手はみるみるうちに消され、徐々にその体は浮上していく。
 まるで、加勢が来て不利になった綱引きのようだ。
 霊が見えるはずの彼女にも見えない誰かは、今度は彼女の目を塞ぎにかかってきた。
 「離しなさい!」
 手で払い除けると、見えない誰かはあっさり引き下がった。
 塞がれたのはほんの一瞬。だが、その一瞬さえ今は命取りになりかねない。
 辺りを見渡そうと顔を上げ。
 「―…」
 眼前に立つ男の姿に、女の顔が凍り付いた。
 泥沼に埋もれていたリオの姿は、ない、
 「…なんてことなの」
 押さえていた胸の奥から、沸々と絶望がせりあがる。
 きりきりと耳を劈く悲鳴が、彼女に警鐘を鳴らす。
 認めたくない、認めてはいけない、けれど目の前にあるそれは紛れも無く―
 
 「……僕を引き戻したのはお前か、篭目」
 大型の狩猟ナイフを手に、リオの姿をした『彼』が、女を見下ろしていた。
 
 篭目と呼ばれた女は強張った表情のままリオを見上げる。
 「メイ…いえ、龍輝。あなたは死んだ人間よ。その体にとり憑く意味が解っているの?」
 リオの姿をした男を龍輝と呼び、沸き上がる底無しの痛みに耐えながら篭目は問いかけた。
 「貧弱なお前とは違うからな。短時間の昏睡で済むだろう。リオを殺しきれなかったのも、お前の驕りに過ぎない」
 答える声はリオのそれよりも高く、立ち姿や仕草からも別人を思わせる。龍輝は篭目を一瞥して小さく息をつくと、手にしていた狩猟ナイフを地面に突き立てた。
 辺りに響く悲鳴が量を増して耳に届き、更なる痛みが篭目に襲い掛かる。
 「ぐっ…」
 鋭い痛みと共に、残っていた村人がほとんど消えてしまった。
 自分を守る盾も、相手を殺す剣も失った篭目は、それでもなお龍輝を睨む。
 その眼には焦燥と絶望が滲み出ていた。
 「…甘く見ていた事は認めるわ」
 龍輝は何も答えず、ただ目を細め、篭目の絶望を愉しんでいる。
 その意味を解した篭目は、ぎり、と歯を軋ませた。
 「でもあんなものは調べた時にはいなかったわ。あれは一体…」
 村人の怨霊を消し、篭目の視界を一瞬でも奪った見えない何か。
 下調べは完璧なはずだったのに、あれは一体何なのか。
 その問いに、そんなことかとつまらなさそうに溜息をついた龍輝は、辺りを見渡してから一言声をかけた。
 「姿を見せてやれ」
 隠していたのか、と悔しがるのも束の間。
 焦燥と絶望に塗りたくられていた篭目の顔に、恐怖と驚愕の色が上塗りされる。
 「…なんなの、これは!?」
 二人を取り囲むように佇んでいたのは、化物と呼ぶに相応しい異形だった。
 村人を遥かに上回る数の手や足が這いずり回り、そのうちの一つが黒い影を掴んでいる。
 程なくして影は嫌な音を立てて飲み込まれ、同時に篭目の体がひときわ強く痛む。それを最後に、篭目の中を駆けずり回っていた痛みは全て治まった。
 彼女に協力した村人は一人残らず、この化物に食われたのだ。
 こんな出鱈目なものが潜んでいたなんて。
 「まさかあなたがこの化物を…!?」
 「僕は従えてなどいない。あくまでこいつらの意志だ」
 素気なく否定し、それ以上の会話に意味はないとばかりに引き抜かれるナイフ。
 振り払う動きに合わせたように吹いた風が強まり、薙いだ雨が付いた泥を洗い流す。
 その様はさながら鬼神を彷彿とさせ、篭目の脳裏に一つの言葉を思い出させた。
 「……隻腕の、鬼神…」
 
 いつだったか、組織の仲間から聞いた他愛もない都市伝説の話。
 発祥と言われる場所は、確かこの森だ。
 そして、生前の彼は隻腕だった。
 
 「今度こそ、仕留めてやる」
 物理的な得物を持たぬ篭目に反撃の術は、ない。

 雨の中、高々と掲げられた大型の狩猟ナイフが脳天をめがけて振り下ろされる。
 その更なる高みに光る雷光は篭目の目に焼き付き、一瞬にして視力を奪う。
 最後に見えた男の影は濃く、その口元の笑みだけがやけにはっきりと見えた。

 * * *

 薄暗い洞窟の中、暁は抱えている荷物の持ち主の帰りを待っていた。
 ほんのり見える外の光は薄く、そこに浮立った岩が雨音を奏でる。時折唸る轟音が岩を通して暁に届き、積り続ける不安を掻き立てた。
 「(…あの人、大丈夫なのかな)」
 何度目かになる言葉を心の内に吐き出し、彼が辿り着いた時より暗くなってきた外から目を逸らす。
 雨が上がるより先に日が暮れてしまいそうだ。

 その時。
 凜、と響く鈴の音が暁の耳に囁いた。

 「(戻ってきた!?)」
 弾かれたように顔を上げ、もう一度外に目を凝らす。
 何度見ても雨と木と草しかなかった入り口に、人が立っている。
 間違いない。戻ってきたのだ。
 「…変わらないな、暁」
 だが耳にした声は、暁が聞いた荷物の持ち主とは違う。否、彼の声に間違いないが、微かに高みのある発声はまるで――

 「―…龍兄」
 暁が慕ってきた青年、龍輝がそこにいた。

 再会した龍輝の姿は赤い斑模様だった。
 赤く染み付いたそれが血であることはすぐに気付く。彼が何をしてきたのか、想像に難くない。
 「お前の行動はいつも僕にとって予想外だな…」
 懐かしそうに、嬉しそうにはにかみながら、龍輝は握っていた狩猟ナイフを手放す。
 手放されたナイフは地面に落ちる前に煙となって昇華した。
 「…あれ?」
 立ち上がった暁は瞬きをして、もう一度龍輝を観察する。
 歩いてくる龍輝の姿がぶれ、荷物の持ち主の姿が重なって見える。三度目の間違いを犯したのかと思った暁は、血の気が引いていくのが分かった。
 「おおお俺また間違え…」
 「間違いではないが」
 「いてっ」
 暁の頭にチョップが落ちる。
 「お前にどう見えてるかは分からないが、僕に見えるのならそれは思い込みによる錯覚だ」
 「…ええ?」
 叩かれた頭をさすりながら、暁は龍輝の言葉を飲み込もうとする。
 目の前の男が龍輝に見えるのは錯覚で、つまり目の前の男はやはり荷物の持ち主というわけで。
 だけどその言葉遣いも仕草も、暁が知る龍輝のものと完全に一致する。
 それはまるで―

 「つまり、どういうこと…です、か?」
 「…お前昔から要領悪かったな、そういえば」
 飲み込めなかった暁の返答に、龍輝はがっくりと項垂れた。
 そうしている間も、暁は目の前の男が『龍輝』なのか、少し前に言葉を交わしたばかりの『よく似た他人』なのか、曖昧に重なる二人を観察する。
 「だって、二人が重なって見えるんだよ。何がなんだ……」
 何かに気付いたのか、暁の言葉が途切れた。
 「…そうだよ、おかしいじゃんか。だって龍兄は」
 「僕は死んだ。だからこの体を借りて、今お前と話している」
 しばしの沈黙の後、洞窟に暁の声がこだました。
 もう一度言うが、暁はオカルトをあまり信じていない部類の人間である。
 しかし自分の目で見たものは、たとえオカルトでも怪異でも心霊現象でも信じる人間でもある。故に、その衝撃は大きかった。
 「まあ…突拍子過ぎて納得はいかないだろう。だから夢でも見てると思」
 「信じる信じる!こんなところで居眠りとかしてないし!!夢オチとかもっと嫌だし!!」
 信じてもらえないだろうと思い誤魔化そうとした龍輝だが、予想外にも食いついたいつもの暁に、密かに安堵の溜息をつく。
 だが、思い出話に花を咲かせるだけの時間と猶予はない。

 「暁、理解してもらえたところで一つ頼まれてくれ。悪いが僕は長くいられない」
 「…うん?」
 暁がきょとんとした顔で龍輝を見上げる。
 生前、最後に会った時とあまり背は変わらないようだ。
 「この体の持ち主が―リオが目を覚ましたら、お前の知ってることを話してやってくれないか。帰り道は作ってやるから」
 頼みを聞いた暁は黙って頷き、それを確認した龍輝は惜しむように頭を撫でた。
 「そういう素直なところも昔から変わらないな」
 今度こそ、さようならだ。
 「…っとと」
 頭を撫でる手の力が弱まり、安堵した笑みが消える。
 そのまま眠りに落ちるかのように重心が揺らぎ、リオの体は前のめりに倒れ込んだ。
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