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時は少し遡り、リオがテントを出ていった後。

 僕はリオを追いかけず、テントに残った。
 ああいう時は誰が何を言おうと馬の耳に念仏だ。頭が冷えるまで放って置けばいい。
 八つ当たりに腹を立てたとか、決してそういう大人気ない理由ではない。



 出ていったリオと入れ替わる形で志島が戻ってきた。
 彼は戻ってくるなり何かを手に取り、また外に出ていった。話し声がするということは、リオにそれを渡したのだろう。
 テントの中には投げ捨てられた銃が残っている。錆びたそれを持っていったところで何の意味もないのだが、手ぶらというのも如何なものか。
 手に取ったものを渡した志島はテントに戻り、今度こそ今日の収穫…どこかからもらってきた廃棄の弁当に手をつけ始めた。
 ラベルには『幕の内弁当』と書いてある。
 「…ん?」
 弁当を入れていたビニール袋をどけ、志島はようやく投げ捨てられた銃の存在に気が付いた。
 リオがこれを暁から譲り受けたのは大分前なのだが、別に本人が隠していたというわけではない。単純に、テント内に物が溢れかえっていて志島の目に入らなかっただけだ。

 志島は錆びた銃を手に取ると、訝しそうにしげしげと眺め始めた。
 銃口を覗き込むという危険な事をしていたが、彼に僕は見えないし、声も聞こえない。暴発して死にでもしたら今のリオは悲しむだろうが、僕が警告をする義理はない。
 そんな志島の様子を観察していると、銃を弄り回す手がふと止まった。元より寄っている眉間の皺が、一層険しくなっていく。
 見ているのは、グリップに彫られた『Nacht』の文字だ。かつてリオがナハト・ボーテと呼ばれていた頃、自分専用の印としてつけたものだ。
 その名前を知るのは暗部の人間だけのはずだが……。
 いや、今は指名手配で全国に名前が知られているか。志島が知っていても不思議はない。
 彼はしばらく銃を睨んだ後、何もなかった様子でテーブルに戻して再び弁当に手を付け始めた。

 * * *

 とっぷり日が暮れた頃、ようやくリオが戻ってきた。
 「どうしたよ兄ちゃん!?」
 出ていった時とは違う真新しいシャツを着たリオを見て、何があったか容易に想像がつく。
 一方で志島が慌てて側に寄ったのは、憔悴しきった様子を見ての行動だろう。すぐさま肩に腕をまわし、テントに運び込む。
 僕に寒暖は関係ないが、今の季節、生身の人間でシャツ一枚は寒いはずだ。それでもリオは上着を裏返しで丸め込み、小脇に抱えて離そうとしない。
 「寒いのに上着も着ねえで、一体何があったんだよ?」
 「……志島さん。俺は…」
 リオはパイプ椅子に沈み込み、顔を覆った姿勢のまま言葉を漏らす。
 その間にも志島は毛布をかけ、温かい茶を用意している。
 まるで、これから懺悔を始める咎人と、それに耳を傾ける神父のようだ。神父と呼ぶには、いささか野暮な気もするが。
 彼は扉を開け、取り戻したんだろう。『記録』ではなく、『記憶』を。

 懺悔と例えたが、それが始まる事はなかった。
 リオが求めていたのは実感という自己満足であって、記憶や感情を誰かと共有するつもりはないようだ。
 志島もそれを理解したのだろう。彼は何も言わず、椅子で蹲ったまま動かないリオの葛藤を見守っていた。
 「…明日、ここを出ます。俺に居て良い場所は、最初からなかったんです」
 そう言いながら、懐に抱え込んでいた上着を広げ、包んでいた物を差し出した。
 広げられた上着の有様に志島はぎょっとして、差し出された物に目が行っていない。
 それもそうだろう。モッズコートはボロボロに破れ、ファーも生地も赤黒く染まっている。元が黒い生地にもかかわらず、それが何で汚れたか判る程。
 対し、リオが差し出したナイフは綺麗にケースに収められていた。
 あまりに対照的なそれらを見れば、何をしてきたかくらいは容易に想像がつくだろう。志島もおよそ把握したのか、見開いていた目が驚愕から戦慄に変わっていくのが分かった。
 上着とナイフ、そしてリオの顔を順繰りに見つめ、志島はなお差し出された自分のナイフを受け取る気配がない。
 受け取ってしまえば、リオは今すぐにでも立ち去って行く。そんな気がしたんだろう。
 そしてそれは気のせいではない事を、僕は気付いていた。
 「…俺は、兄ちゃんを息子みたいに思ってるぜ」
 「前にもそれ、言ってました」
 「おうよ。今もそう思ってるぜ」
 沈んだ瞳が、僅かに揺れる。
 「何があったかなんて野暮な事は聞かねえよ。けどな、俺が兄ちゃんを息子だと思ってるのは変わらねえし、何があってもここは兄ちゃんの居場所だ」
 諭すように言い聞かせる志島を、リオは信じられないような、縋るような面持ちで見た。
 「だからいなくなるとか、寂しい事言わないでくれよ。自首するってんなら、兄ちゃん匿ってた俺も同罪だろ?」
 「…志島さん」
 表情はあまり変わらないが、その目を覆う絶望が幾分和らいだのが見て取れる。
 正直、一本取られた気分だ。
 リオが自首するつもりでいたかは定かでない。だが、そうだとしたら志島は勿論、芋づる式に暁も隠匿罪を問われることになる。
 自首という言葉を聞くまで、僕はそれに気付けなかったのだ。

 「……?」
 「大丈夫か?」
 横で一人悔しがっている間に、リオは自分の頭を押さえて一瞬しかめ面をしていた。
 「大丈夫です、ただの頭痛」
 「疲れが溜まってるんだろ、飯食えそうなら食べときな」
 リオを留めさせる事が出来て安堵したのか、志島は普段の調子に戻って新聞を広げている。
 その様子に違和感を感じ、僕は今までの志島を思い返した。
 基本的に彼はお人好しだ。志島にしては素っ気ない、と言えば良いだろうか。
 とは言え、トラブルが落ち着いてそう時間も経っていない。気不味さでお節介焼きの性分が息を潜めてるだけだろう。
 そう結論づけ、今度はリオの様子を見る。
 リオの頭痛の原因の大半は、追憶の拒絶反応によるものだ。五年前までは思い出せたと言っても、そこから今に至るまでの記憶は僕も知らない。
 今頭痛が起きるとすれば、その空白に関するものを見聞きしたからに違いないだろうが…。
 心当たりは、ないわけではない。

 どの道、篭目が死に、リオが記憶を取り戻した時点で僕に存在理由などない。
 好奇心で一つ、調べてみようか。

 * * *

 光が、見える。
 ゆらゆらと形を変えるそれは碧く、眩い。
 水中から空を見上げて漂っているような、ふわふわした気分だ。
 ぼんやりした意識の中……って、ちょっと待て。
 前にもここに来た覚えがある。
 そう、篭目に殺されかけて気を失った後だ。
 ただの夢かと思っていたが、どうやら違うようだ。

 前と違うとすれば、光が遥か遠くにあって、深い闇がずっと近くにある事か。
 水面近くを漂っていたのが、今度は暗い海底を歩いているような。

 「意識をこちら側に引き寄せたからな。体は今眠っている」
 振り向くと、澱んだ底に立つ龍輝がいた。
 「…そうか」
 目を引く隻腕は生前の姿そのままで、白い狩衣に般若の面をつけていた時と相違ない雰囲気を漂わせる。
 違いがあるとすれば、周りを走り回る、子供達の白い影がいるくらいか。
 「それで、恨み言でも言いに呼んだのか」
 五年前の最後の記憶。
 俺は組織を潰すという復讐を果たし、代償として龍輝が死んだ。
 元より、死ぬ事に後悔はないというのは生前の彼の弁だが、巻き込んだ側たる俺が生き残ってしまったのだから皮肉にも程がある。
 死んでから恨み言が出てきたと言うなら、甘んじて受けるつもりだ。
 「僕は別に、生きて帰れる事は特に望んでいなかった。そういう意味では、お前が気に病むような代償も恨みもない」
 「別の恨みはあるのか」
 何か忘れているような……。
 「篭目と僕がグルになってお前を殺そうとした、とかいう寝言ならよく覚えているが」
 「……」
 本当に忘れていた。
 記憶の戻った今考えてみれば、敵対的だった二人がグルなどあり得ない事だとすぐに分かる。それこそ、絶対を断言できる。
 「それは…悪かった」
 自業自得、ぐうの音も出ないとはこの事か。
 俯いて顔を逸していると、白い影が一つ、こちらを覗き込んで来た。
 おかっぱ頭の着物姿らしき輪郭が古めかしい。
 (ゆるしてあげるー)
 悪戯に笑い、そんな事を言ってまた走り出していった。影だから表情などないし、笑っていたというのも声音からの憶測に過ぎないのだが。
 顔を上げると、子供の頭を撫でている龍輝がいた。
 誤解で機嫌を損ねていたのは本当のようだが、そこまで根深くはなかったようだ。

 と思っていたら、俺を見る本人の顔は酷くしかめ面だった。

 * * *

 「それでお前を引き寄せた本題なんだが」
 恨み言、もとい誤解への謝罪要求は本題ではなかったらしい。
 「本題?」
 「忠告と言ったほうが正しいかもしれないな」
 切り出されると同時、底の見えない足元がうねりを上げて歪みだす。
 黒い水は見た目以上に強い勢いで流れ、思わず足を取られそうになる。
 龍輝の方を見ると、水の流れなど存在していないかのように平然と立っていた。
 「断っておくが、僕に出来るのは忠告までだ。お前が目を覚ますまでの時間を僕は知らないし、証明もできない」
 その言葉で、ある程度の事は理解出来た。
 「…調べる事は出来たんだな」
 「一部だけだが」
 そう、彼はあくまで五年前に死んだ人間。そこまでの証人にはなれても、俺の記憶の証人にはなれない。
 今日までの五年間は、龍輝という補助輪なしで探さなければならない。
 だったら、忠告は最初の足がかりになるだろう。

 足元を流れる水が引いていく。
 「そろそろ目が覚める時間か」
 水の流れを見ていた龍輝は短く告げると、どこから取り出したのか、般若の面で顔を隠した。
 割れた面は素顔の一部を曝し、金色の目と黒い眼が俺を捉える。
 「最初で最後の忠告だ。…志島には気をつけろ」
 引いた波は巨大な流れとなって寄せ返し、俺は抗う術もなく飲み込まれていった。
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