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10 - summer
「老夫婦殺害事件…?」
夏の記憶が曖昧なリオには聞き覚えのない出来事だった。
志島の言葉を鍵に、鏑木は夏に起きた事件の記憶を漁る。
何に気付いたのか、ハッとした顔で暁は志島を見た。
夏の記憶が曖昧なリオには聞き覚えのない出来事だった。
志島の言葉を鍵に、鏑木は夏に起きた事件の記憶を漁る。
何に気付いたのか、ハッとした顔で暁は志島を見た。
老夫婦殺害事件。
その記録をよく知り、語れるのは鏑木しかいない。
* * *
七月二十九日に起きた事件。
住宅街に住む志島菊治・タツ江夫婦と、身元不明の男性一人が殺害された。
警察は夫婦と同居していたという別の男性を重要参考人として連行したが、署から脱走。
行方をくらまし、現在も行方を追っている。
それが現在報道されている事件の概要だが、捜査はもう少し進んだところで難航していた。
* * *
時は遡り、七月二十九日、午後。
二軒隣の家の前で、そこに住む老夫婦と知らない男性が血だらけになって倒れている。
通報した第一発見者は現場の近所に住む主婦だった。買い物袋をさげて立ち尽くす彼女は、青ざめた表情のままどうしたらいいか分からない様子で辺りを見回していた。その数メートル離れたアスファルトの上に、真新しい血溜まりと三人の死体があった。
「被害者のうち二人は志島菊治さんと妻のタツ江さんで間違いない。もう一人は第一発見者によると近隣の住人ではないらしい。所持品らしきものは握っている拳銃のみで身分証明もない」
「…鏑木、血痕が」
鏑木が事情聴取をしていると、伊能が地面を指差した。よく見ると争った跡、老夫婦の死体は誰かが抱き上げた跡があり、血を踏んだ足跡が道に沿って続いている。
「まだ新しい。犯人の足跡かもしれないな」
後から追いついた制服の警官に発見者の事情聴取を任せ、鏑木と伊能は足跡を追いかけた。
「…そうだわ。ナハトさんは無事かしら…?」
鏑木と伊能が足跡を追いかけてから間もなく、主婦は思い出したように言葉をこぼした。
調査の結果、血溜まりに落ちていた拳銃の指紋と弾の口径から、老夫婦を殺害した犯人は同じ場所で死んでいた身元不明の男だと分かった。
その男を殺害したのは、老夫婦と一緒に住んでいた男。その正体は、当時ナハト・ボーテと呼ばれていた暗殺者だということも判明した。
この時熱中症にかかっていたナハト、つまりリオを病院に連れて行かなかった事は、鏑木達が犯した最大のミスと言える。
目を覚ましたリオが記憶障害に陥り、彷徨う事になったのは、心の脆さだけが原因ではなかったのだ。
しかしそれを知る者は、鏑木達を含めて誰もいない。
八月一日。
「書類によると、志島夫妻とナハトに血縁関係はないそうですが」
目の前に出された麦茶に手を出す仕草もなく、隣に座る伊能が尋ねた。
今時珍しいであろう平屋の日本家屋は風通しが良く、網戸から通る風は心なしか涼しい。十二畳の開けた和室のほぼ真ん中に位置する掘り炬燵は使われておらず、畳で蓋をしてその上に敷いた座布団に鏑木と伊能は正座している。
「ご夫妻と彼の関係についてお尋ねしてもよろしいですか」
卓袱台をはさんだ向かい側で、住人である初老の女性が麦茶を出し終えて座るまでの仕草を、何を思うでもなく見守る。
相手に緊張感や不安を持たせないよう配慮した目線で伊能は聴取を始めた。
「ええ、ええ…。どこからお話したらいいのかしらねえ…。いつだったかしら、寒い日にタツ江さんが孫が出来たって言ってねえ。ほら、タツ江さんの息子さん、家を出てからとんと音沙汰がなかったから私びっくりしてね。結婚して子供が出来たのとばっかり思ってたのよ」
喉の渇きに耐え切れず、鏑木は麦茶を一口含めて喉を湿らせてから要点をメモ帳に書き殴る。
「そしたら全然違ったの。何でも、生死を彷徨ってた男の人を旦那さんと散歩中に見つけたって言ってね。名前も知らないのに。救急車呼んで看病して、身寄りが無いから引き取ったんですって。息子さんが音沙汰なくなっちゃって寂しかったのかもしれないわねえ…」
「その場所とはどこですか?」
「えーとどこだったかしらねえ…ごめんなさいね忘れちゃったわ。綺麗な海岸の近くって言ってたかもしれないわ」
海岸付近で起きた事件がなかったか、伊能は頭を巡らせる。その間を気にする事もなく女性は話を続けた。
「背が高くて顔立ちも良くてモデルさんみたいでしょう?この辺そういう人なんていないから珍しくて。雰囲気も…最初は怖くて皆近づかなかったわ。でも段々物腰が柔らかくなってきて、馴染んできてたのよ。よく挨拶くださって、子供達が懐いたのがきっかけでこの辺じゃちょっとした有名人になってたかしら。でも昔の事は話したがらなくて、ナハトがあだ名みたいなもので本名がリオっていう事しか知らないの。それ以外の事もタツ江さんにも旦那さんにもあまり話してなかったみたい」
勢いよく捲し立てる女性に気圧され、メモを取る手が追いつかない。
「ただいまー」
話し終わるか終わらないタイミングで、救いとばかりに背後から幼い声がぶつかった。
女性は「ごめんなさい、少しお待ち下さい」とおいて立ち上がると、足早に玄関の方へ歩いて行った。
窓の隅に吊るされた風鈴が凛と鳴り、二人の視線を窓へ移させる。外には整然と並べられた花壇があり、雑草の生えていない土からは手入れが行き届いている様子が伺える。
その中に一つ孤立したプラスチックの植木鉢から生えている朝顔を眺めながら、伊能は麦茶を一口含んで喉を湿らせた。
「容姿は噂どおりだが、評判は噂とは随分違うな」
「過去を隠そうとしていた辺り、組織のナハト本人に間違いなさそうですが」
朝顔からメモ帳に視線を移し走り書きを盗み見ると、ミミズが踊っているような文字が並んでいて伊能には読めそうにない。
署に戻ってから読める文字に直されて手元に来ることを願いつつ、額に滲み出てきた汗をハンカチで拭う。
外に比べて室内は涼しいが、やはり真夏のスーツが暑いことに変わりはなかった。
粗方メモを取り終えたのか、ペンを握っていた手を止めて鏑木が軽く息を吐く。
「どうしますか、子供からも何か探ってみますか」
「子供は正直だが嘘もつく」
子供が嫌いなのか、伊能は投げやりに返す。聴取の判断と内容を鏑木に丸投げするつもりらしい。
「…帰らないでそこに座っててくださいよ」
分かってる、と溜息混じりの返事が返ってきた。
卓袱台の前に座った少女はいたって大人しそうだった。
癖毛で細い髪は後頭部で一つに束ねられ、滲んだ汗が首を伝う。染めた形跡のない髪は紫外線でほのかに色褪せているが、日の光に透かさなければ気付かない程度だ。
今の流行だろうか。シャツの上にキャミソールという重ね着に見せかけた服は鏑木の姪もよく着ているのだが、肝心の名前が出てこない。
そんな彼女の日焼けした肌に短パン姿は、どこにでもいる小学生だった。
少女は緊張した様子で奥二重の目をこちらに向けている。
「紗希、嘘はつかないでちゃんと答えるのよ」
母である女性が声をかけると、やや不安そうに頷いた。
「えーと、まずはお名前聞いてもいいかな」
「みくり、さきです」
「三栗紗希ちゃんだね、ありがとう。紗希ちゃん、お隣に住んでたかっこいいお兄ちゃんについてお話聞かせてくれないかな」
紗希は小さく首を傾げて考えている。その口が開くのを、鏑木はじっと待つ。
「ナハトお兄ちゃん、紗希や皆といっぱい遊んでくれたよ。でもかくれんぼも鬼ごっこもなわとびも、最初知らなかった。それでね、皆でルール教えたら、不思議そうな顔してたの覚えてる。何でって聞いたらね、お兄ちゃん、小さい頃はずっと一人ぼっちだったからって言ってた」
子供の相手は歳の離れた従弟や姪で慣れている。少女の言葉を咀嚼し、メモ帳に書き込んでいく。ボールペンを走らせている間、紗希は話を止めて鏑木の手先を見ていた。
「遊び方覚えたらお兄ちゃんすごく強かったよ。かくれんぼすぐ見つけちゃうし、鬼ごっこもハンデつけてもつかまらないし。すごく楽しそうだったのに」
言葉の末端が暗くなり、紗希は俯いた。
「お隣のおじいちゃんとおばあちゃんが死んじゃって、お兄ちゃんいなくなっちゃった。学校の皆もお兄ちゃんと遊んでたのに、本当は悪い人だったんじゃないかって悪口言い出した。でも紗希分かるもん。お兄ちゃん悪いことしてないもん」
拗ねたような怒ったような感情は、少女の考え方が周囲と異なっている事を推測させる。
紗希がナハトの肩を持っているのは明確で、彼を助ける為に嘘をついている可能性もある。しかし、肩を持っているからこそ見える視点というものも存在する。
「何にも悪いことしてないのにどうしてつかまえるんですか?おまわりさん、お兄ちゃん見つけてもつかまえないでください!」
「紗希!」
感情的になる紗希の肩を母が揺らして止める。でも、とぐずりながら母の顔を見て紗希は俯いた。言わんこっちゃないといった様子で伊能は鏑木の方を見ている。
肝心の鏑木は動じた様子もなく紗希に笑いかけた。
「ごめんね、おまわりさんはお兄ちゃんを捕まえる為に聞きに来たんじゃないんだ。確かにおまわりさんの仕事は悪い人を捕まえる事だけど、事件が起きてもすぐに悪い人が誰かわかるわけじゃない。だからこうして色んな人にお話聞いて、事件に関わりのある人の中で悪い人を見つけ出そうとしているんだよ」
事実、志島夫妻を司法解剖した結果と押収したナハトの銃の口径から、既に犯人はナハトではない事は判明しているが公表されていない。
「逆に考えてごらん。おまわりさんはお兄ちゃんが犯人じゃないって証明するために調べてるんだ」
ね、と念を押して宥められ紗希はようやく納得したのか、うんと頷いて鏑木を見た。
その曇った眼を晴らせられる日は、いつになるのか。
「子供の直感、か」
家を出て署に戻る途中、伊能が呟いた。
「どうしたんですか珍しい」
「いや別に」
西に向かって歩いているからか、既に傾いている真夏の太陽は二人の体力をゴリゴリと削っていく。
「そのメモ、ちゃんと読める字に直してから出せよ」
しばらく黙ってから話を逸らすようにメモの事を念押して、伊能は目を泳がせた。
「…分かってますよ」
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